今日のみ言葉【No.1315】(2016年 6月28日) 011 「らい病人」(2)
「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。
(マルコ1:40-41)
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NHKの健康番組「ガッテン!」(旧名「ためしてガッテン」)で、2015年の感動ワザ大賞が選ばれました。
その一つが「氷水出し緑茶」。
お茶の葉っぱに氷水を注ぎ、5分間待つだけ。
お茶農家の方が「本当はこれが一番うまいんだ」と言うだけあって、お茶の旨味が一番良く出る淹れ方なのだそうです。
渋味の元であるカテキンが出ず、カフェインも抽出されないため、子供や妊婦さん、就寝前でも飲めます。
さらに、冷たい温度でしか抽出されないエピガロカテキン(EPG)という成分が免疫力をアップさせるので、一石何鳥にもなるやり方です。
冷たい水にじっと浸る時、緑茶は何も出さないのではなく、免疫力アップの力を出すように神様はデザインされたのだと思う時、本当にこれは「神様の感動ワザだな」と思わされます。
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今日の聖句に出てくるらい病人の特徴は、「癒して下さい」「治して下さい」「楽にして下さい」と言ってきたのではないことです。
彼の言葉は、
「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
(マルコ1:40)
でした。
人は冷遇されると「恨みつらみ」という苦いものが抽出されることが多いものです。
このらい病人とて、そのような時期を通ったことでしょう。
しかし、彼の場合、世間の冷たさや人生の闇の中に沈む時、自分の心も彼らと同じかそれ以上に汚いではないか、と気づかされた瞬間があったのです。
肉体の表面だけでなく、心の底からきよめてもらう必要がある。
イエス様の前に出た時の彼の心境はこのようなものだったのではないでしょうか?
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キリストに出会う時、人は決して裁かれません。
教会に来る人の中には、自分の罪が突っつかれそうだと身構える人がいます。
しかしイエス様は罪人を愛する方です。
「イエスは深くあわれみ」
(マルコ1:41)
とあるように、深く憐れむ御方です。
そして、
「そうしてあげよう、きよくなれ」
(マルコ1:41)
と私たちに手を伸ばして下さる御方なのです。
自分に伸ばされたキリストの手を
「あなたも汚れてしまいますから、結構です」
と遠慮するのではなく、されるがままにお任せすることが私たちのやるべきことです。
そこに神のわざがなされるのです。
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M兄は実家で引きこもり、意を決してやって来た教会の寮でも外へ出られず引きこもりの生活が続きました。
彼の中から出てくるのは、
「教会にも行けず、同じ寮生と顔を合わせるのも辛いなんて情けない」
「もっとしっかりしないとダメだ」
という自分を責める苦味成分だけです。
しかし、寮の仲間はM兄に
「M君がいてくれることでどんなにホッとすることか。教会に来ても来なくても、どちらでもいいんだよ。強いて言えば、あなたの顔が見えないから寂しいな」
と言って、彼の話を聞いてくれました。
彼はそのことを通して、どんな自分も愛されていて、自分だけが苦労しているのではなく、イエス様が自分を背負っていてくださっているのだと考えるようになりました。
M兄はアルバイトにも出るようになり、今では引きこもりの人を訪問し、話を聞く側の働きをするようになっておられます。
「外に出ることよりももっと大切なことを、今あなたは引きこもっているこの時にやっているんだよ」
彼が語るからこそ、その言葉に力強さと命が宿り、引きこもりの方々から命を引き出しているのです。
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イエス様のあわれみの御手を受け入れる一日として参りましょう。
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