今日のみ言葉【No.1281】(2016年 5月10日)

一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。
(マラキ2:15)

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心理学の一つの説によると、女性が結婚を強く考えるのは「絶不調」の時だそうです。

誰かに頼りたくなるのです。

反対に男性が結婚を強く考え出すのは「絶好調」の時です。

「これならやれる!」と自信があるからです。

男性芸能人が売れ出し、人気が出て収入がアップすると、下積み時代を支えてくれた妻と離婚し、美女と結婚したがるのはこういう心理が背景にあるようです。

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マラキの時代、大祭司を始めとし、結婚に混乱が生じました。

ユダヤ人の妻と離婚し、ペルシャ人女性と結婚する人々が増えたのです。

当時イスラエルを支配していたのはペルシャ。

この国の女性を妻にした方が、経済的にも政治的にも、何かにつけて有利でした。

しかし、結婚は本来神が定めた聖なるものですから、その意味で離婚は避けるべきことです。

当時のイスラエルは神の意向を無視し、神と人間との麗しい型であるはずの結婚関係を壊し、それを自分たちの利益のための便宜的用途に堕してしまいました。

今日の聖句の

「一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。」
(マラキ2:15)

には、そのような背景があるのです。

何のために私たちの「命の霊」が造られ、なぜ「ささえられた」のか。神は何を望まれるのか。

神の中で生き、神との関係の中で生かされていく型としての結婚であるゆえ、

「あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない」

のです。

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昨日は私たち夫婦の結婚記念日でした。

朝、御言葉メールを出し、月曜日の礼拝と家庭集会、間近となった山形講演会の準備、聖書研究の学び、と続く一日のスケジュールの最後に、私たちは教会員のお父様のお見舞いに行きました。

容態が急変し、もしかしてこれが最後かもしれない、という思いを抱きつつ、病室に入らせていただきました。

通常、このような場合は雰囲気が重く、何と言っていいかわからない時を過ごすものですが、お父様は既に洗礼を受けられていますから、

「お父さん、よくここまで頑張ってこられました。でも、もう頑張らなくても大丈夫ですよ。イエス様がお父さんの手をしっかりと握って、天国まで連れて行ってくださいますから、安心してください。」

とお祈りすることができました。

クリスチャンの最後の時は、本人にとってもご家族にとっても心の重荷をイエス様に負っていただいている感じがします。

私は家内と、

「私たちはこのことをするために結婚させていただいたんだね。」

と語り合い、帰途に着きました。

やがてその1時間後、お父様は安らかに天に召されたとの一報をいただきました。

悲しみの知らせでしたが、私たちにとっては結婚記念日に神様が下さった贈り物として深く心に留めたひとときでした。

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神様から与えられた命を最高に発揮する一日として歩んで参りましょう。

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