今日のみ言葉【No.1055】(2015年 6月 4日)

月はあわて、日は恥じる。
(イザヤ24:23)

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笹の花が咲くのは60年〜70年周期だそうですが、今年は各地で咲いているそうです。

その年は凶作になるという言い伝えがあり、何やら不吉な感じがします。

しかし、私の親に聞くと、米沢で前回、笹の花が咲いたのを見たのは昭和20年だったそうです。

この年は言うまでもなく太平洋戦争敗戦の年です。

やっぱり大変な年だったのでしょうか。

しかしその後の食糧難の時期、

「笹の花が咲いて、その実がなったので、それを食料にして生き延びることができた」

と言っています。

神様の深いご配慮を感じる「笹の花」の出来事です。

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今日の第24章から27章までは世界の終末の預言が記されており、ヨハネの黙示録ならぬイザヤの黙示録とも呼べるところです。

当時のイスラエルに対してだけでなく、全世界的、最終的な世の終わりの際の神の審判が書かれています。

実際に読めば分かる通り、実に大変な状況の中、終末の時を人類は迎えるのだ、と知るとゾッとします。

しかし、預言者は忘れずにその更に先に待っている希望を語ります。

「こうして万軍の主がシオンの山およびエルサレムで統べ治め、かつその長老たちの前にその栄光をあらわされるので、月はあわて、日は恥じる。」
(イザヤ24:23)

と、神が人類の歴史に介入されるのです。

そしてその素晴らしさは

「月はあわて、日は恥じる」

ほどに輝くという表現がなされています。

一体どうなるかわからないという不安に焦点を合わせて将来を見る生き方もあります。

その不安を通り越した先の希望に焦点を合わせて将来を見る生き方もあります。

自分の目の据え所をどこに置くかで、見えるものが全く違ってくるだけでなく、今の心の状態が定まっていくのです。

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私とKさんはボクシング好きという共通点があります。

先日、世紀の一戦ともてはやされた試合がありましたが、その1ヶ月以上前から、私とKさんとで「どっちが勝つか」で盛り上がっていました。

私の予想は、「5、6ラウンドで挑戦者のKO勝ち。前半で勝負がつかなかったらチャンピオンの判定勝ち」

Kさんの予想は、「防御に優れたチャンピオンが終始優勢を保ち、判定勝ちに持ち込む」

というものでした。

その日、Kさんは録画設定をした後、仕事中でも休憩時でも、一切の情報をシャットアウトし、大急ぎで家に帰りました。

そしてどちらが勝つかわからない状態にして録画した試合を観戦しました。

ハラハラドキドキだったそうです。

一方私は、日中、スマホで試合速報をチラ見しながら過ごし、予想通りの試合展開で終わったのを午後遅く確認しました。

ですから、その夜のニュースで映る映像にはハラハラドキドキ感は全くなく、挑戦者を応援していたせいもあったか、無味乾燥な感じがしました。

結果を知っているいないでは、同じものを見ていても、全く違った感覚で目に映るのです。

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「月はあわて、日は恥じる」ほどの素晴らしさを味わう側に自分がいると確認することが今日最初の仕事です。

そして、その位置から自分の今日一日のなすべきことを見ていきましょう。

確かな歩みがそこになされていきます。

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