今日のみ言葉【No.1038】(2015年 5月15日)

王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺した。
(イザヤ7:2)

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先週まで青白い顔をしていた方が、今週会ったら血色の良い顔に変わっていました。

聞けば、ご自分の病気の治療方針が定まり、しかも手術でなく通院で治療可能だということがわかったのだそうです。

それがどうなるかわからないうちは、心が右や左に揺れて、最悪の事しか考えられないものです。

しかし、医師との相談の結果、適切な道が開かれ、そこに心が定まると、

「あとはこの先生にお任せしよう」

「命をお預けしよう」

というまでの平安な心になり、食欲が増し、血色も以前より良くなったのです。

心揺れ動く時、自分で全てやらなければならないと思うと人間は暴走しがちです。

心揺れ動く時こそ、信頼できる方の言葉に耳を傾け、自分だけの判断で事を決めないことが肝心です。

このことを誤ったのが、今日の聖書個所に出てくるアハズ王でした。

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イザヤ書第7章を正しく理解するためには、当時の政治的・歴史的状況を知らなければなりません。

この時代、国は北イエスラエル王国と南ユダ王国の2つに分裂していました。

さて、北イスラエルの更に北部に、新興国アッスリヤが勢力を伸ばし、周りの国々を征服しだしたので、これに備えて北イスラエルとスリヤは同盟を組み、南ユダにも加われと言ってきました。

しかし南ユダの王アハズはこれに賛意しませんでした。

北イスラエルとしては、「南ユダが我々の仲間になることを拒否したということは、敵のアッスリヤと同盟を組むのかもしれない」と考えます。

そうしたら北のアッスリヤと南ユダの上下からの挟み撃ちになり、北イスラエルとしては大変不利になります。

ならば先に南ユダを攻めてしまえ、というわけで、北イスラエルが先制攻撃を仕掛けてきたというわけです。

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このような非常事態ですから、

「王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺した。」
(イザヤ7:2)

となるのも無理はありません。

問題はここでどうするかです。

私たちの心は、思わぬ事態に出会うと、

「風に動かされる林の木のように」

右や左に揺らされます。

いえ、むしろ、揺れないほうがおかしいのです。

ただし、そこで神の御声に耳を傾けるか、「そうは言っても…」と揺れる心のまま自分の考えで進んでいくのか、そこが人生の分かれ目です。

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預言者イザヤは、

「主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。」
(イザヤ7:7)

と、神に信頼することを勧めました。

しかし、南ユダの王アハズは、彼の言葉を選択することを拒否しました。

そしてアッスリヤに援軍を求め、北イスラエルを追い払ってもらうことに成功しました。

結果的とはいえ、北イスラエルが恐れていたことと同じことが起こってしまったのです。

この後、北イスラエルはアッスリヤによって滅ぼされ、北イスラエル十部族は世界各地に散らばされてしまいます。

さてアッスリヤは助けてあげたのですから、南ユダに見返りを求めます。

重税です。

国力が衰えだした南ユダは、アッスリヤを追い出すために、大国バビロニアに頼り出します。

バビロニアはアッスリヤの圧制から南ユダを解放してくれました。

当然バビロニアも見返りを求めます。

我慢できない南ユダ内で反乱が起きます。

バビロニアは強大な軍隊で鎮圧し、南ユダ王国は滅ぼされます。そして大量の人々がバビロンへ捕囚として連れていかれました。

これがイザヤの預言通り、神に従わず、外国の軍隊に頼ったイスラエルの歴史の結果です。

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揺れる心の時、早く楽になりたくて「エイ!」と安易に決めたくなる時、こらえ切れない時…。

その時は、

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
(詩篇46:10)

の御言葉を思い起しましょう。

そして、自分で全部決めなければならないと思っていたところから、

「このことも神様のご支配の内にあり、自分でなく神様がお決めになることだった」

と、神の前にいる自分にお気づきになることが秘訣です。

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揺れる心の時こそ、神がお語りになる時だ、と悟り、み声に聞き従う一日として参りましょう。

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