今日のみ言葉【No.991】(2015年 2月27日)
施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。
(箴言11:24-25)
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台湾で1ヶ月間の教会研修をした際、地元の方が本格的中華料理をごちそうしてくれました。
ただで食べさせていただけるというので恐縮して行くと、
「いやいや、こちらの方がありがたい」
とおっしゃるのです。
正式な中華料理は、あの丸いテーブルに10名いなければならないのだそうです。
10人集まらなければ食事ができないので、例えば3名足りない時は、食べたい7人が3人を無料で招待して食事の席を成立させるという事でした。
さて、無料で豪華な中華料理が食べ放題だと言われた側の人間はどうするでしょうか?
貧乏神学生は何もできないので、食べてお話するだけです。
しかし、少しでもお役に立つ話をしようと思います。
こうやって中華系の人々は全世界で実際の生の情報を仕入れることになるのだなあ、と、その賢さに舌を巻いたのと、与えることによる祝福の大きさに目を見張ったことを覚えています。
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今日の聖句はまさしくその通りです。
新約聖書でもイエス様は
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」
(ルカ6:38)
と教えておられます。
与えたら与えられるのはクリスチャンであるなしにかかわりなく、どんな人にも当てはまる神の法則のようなものです。
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朝の通勤ラッシュ時、横道から本道に出ようと機会を伺っている車が見えます。
私は牧師であるにもかかわらず、隣人愛より自分の都合を優先させ、「ごめんね」と心の中でつぶやきながら、止まらずにスーッと走って行きました。
ところが、私の運転する車の真後ろにいたバスは、止まって道を譲ってあげたのです。
バックミラーから見えるバスの運転の仕方に私は顔が赤くなりました。
それからしばらく渋滞の中を観察していると、私が無視した車に対してバスはいちいち止まってあげます。
「市民のバス会社に対する好感度はアップするだろうな。でもあれだと停留所の時刻通りには行かないんじゃないの。」
と私は自分を弁護するためにそう考えました。
ところが、いつの間にかバスはまた私の真後ろにピタリとついていたのです。
あれほど他人を無視して先を急いだ私と、何台もの車を優先させてあげたバスの結果が同じ。
神に従う時に、損をしたように見えても、逆に何倍もの祝福が与えられるとはこういうことかと痛く反省した次第です。
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今日も与える人生を生きて参りましょう。
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