今日のみ言葉【No.954】(2015年 1月14日)
主がもしわれらの方におられなかったならば、
(詩篇124:1)
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詩篇第124篇の記者は、イスラエルの過去の様々な苦難を思い起こし、主がもしわれらの方におられなかったならばどうなっていただろう、と思いめぐらしています。
当然のことながら、神がイスラエルを苦難から救い出された御業をほめたたえています。
ところで、もうひとつの見方として、
「神はなぜあのような苦難の中に我等を入れたのか」
という見方もあります。
「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。」
(イザヤ45:7)
とありますから、そう考えて何も不自然ではありません。
繁栄があって当然。災があって当然。それは神が造られたからです。
救いがあって当然。苦難があって当然。
現実にこのような世界に私たちは生かされています。
ポイントは、どちらを見、どちらを選択して生きるかです。
この点は完全に人間に任せられています。
詩篇124篇の記者は、あの時もこの時も神によってひどい目にあわせられた、という解釈を選ばず、同じ苦しい目にあったが、あの時もこの時も神によって救われた、という面を見、そちらを選択しています。
あなたはどうなさいますか?
これは、自分にとってどちらが得か、をじっくり考えてからお決めになるとよろしいでしょう。
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私の母は82歳。認知症でヘルパーさんの助けを受けながら、一人住まいをしています。
先日、血液検査の結果を見せあったら、母の方が数値が良く、私の方が不健康だと分かりました。
今でも毎日雪片付けを欠かさない元気さの秘訣は、前向きに事をとらえることにあるのは確実です。
かつて手形の不渡りを食らい、多額の損失を受け、会社をやめざるを得ない時期がありました。
しかし、母は、
「家が残って良かったな」
と言います。
私が
「米沢は大雪で大変だなー」
と言うと、
「今日は晴れ間が見えて良かった」
と言います。
一事が万事、この調子です。
私がどんな否定的・悲観的・お先真っ暗なことを言っても、その都度、前向き・肯定的・楽観的言葉で返します。
元気なはずです。
とうとう私が負けて、
「お母さんの言う通りだ」
と言うと、
「お前も少しは勉強しろ」
と返すという、他愛ない親子の会話を性懲りもなく続けています。
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イエス様を信じていたら、毎日どんな否定的言葉を吐き続けていても、天国にはちゃんと入れます。
しかし、同じ天国への道をたどるなら、毎日元気で明るくいながらたどり着きたいものです。
その鍵は、今日、あなたの手の中にあります。
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