今日のみ言葉【No.951】(2015年 1月 9日)

見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
(詩篇121:4)

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ボウリングの起源はエジプトだということが定説ですが、宗教改革者のマルチン・ルターが今のルールの原型を作ったことは歴史の意外な事実です。

彼は9本の木の棒を菱形に配置し、丸い石を転がして棒を倒す遊びを考案しました。

きっと、石がうまく棒に当たれば「あなたは立派な人間だ」とか、当たらなければ「もっと良い人間になりなさい」などと言いながら、修道院内でボウリングを楽しんでいたのでしょう。

なぜルターはボウリングをしたのでしょう?

彼は11個所の修道院を指導する立場にありました。

霊的指導ももちろんですが、修道士たちも人間。ルターは多くの時間を、彼らの間の感情のもつれや誤解の解決に費やさなければなりませんでした。

厳しい修行に励む修道院の中で、緊張をほぐすためのレクリエーションとしてボウリングがあったのです。

このように後輩たちの必要を慮り、見守ってくれる先輩の存在があることは何という恵みでしょうか。

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詩篇第121篇では、守る・見守るという意味のヘブル語「シャーマール」が、このたった8節の詩篇の中に6回も使われています。

ルターのように見守る神がいらっしゃることを語っているのです。

その神は、

「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。」
(詩篇121:4)

とあるように、私たちから片時も目を離さず、常に守っていてくださるのです。

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この神の守りを体験するための秘訣は、

「主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。」
(詩篇121:8)

という最終節にあります。

特に「出ると入る」の「出る」がキーワードです。

聖書を見ると、アブラハムは生まれ故郷を出て、そして、モーセに率いられたイスラエルの民はエジプトを出て、神の言葉以外保証のない世界に出て行きました。

そこにはどんな危険が待ち受けているかわかりません。

今いる所にとどまっていれば、ある程度の安全は保証されるでしょう。

しかし、荒野以上に「見守る神」の存在を体験できるところはありません。

もしあなたが、神の

「出て来なさい」

と呼ぶ声を聞くなら、素直に従ってみることです。

すると、とてつもない恐怖と危険が目の前に見えるかもしれません。

しかしそこに「あなたの出ると入るとを守られる」神の存在を体験する道が開かれるのです。

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先ほどのルターはこう書いています。

「神は平和のないところに神ご自身の平和を置かれる」

「それゆえに、平和は、なにものにも動揺を感じない人には見いだされない。なぜなら、これはこの世の平和だからである。」

「しかし平和はあらゆる人とあらゆる物とが動揺を与えられながらも、静かに、喜びをもって、あらゆる事態に耐える人にこそ見いだされる。」

これはルターがノイシュタットの修道院院長に宛てて書いた手紙の一節です。

この世の安泰ではなく、見守る神の平安を得るには、神の呼びかけに応じて

「出る」

ことが大事です。

今日もこの神の平和を味わいながら、一歩々々を進めて参りましょう。

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