今日のみ言葉【No.940】(2014年11月15日)
主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
(詩篇110:1)
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電気製品が故障した時のために保証書があります。
今はコンピュータで購入履歴も保証期間もすべて電子的に管理されていますから、そのお店のカードを通せば、無料で修理してもらえるかどうか、たちどころに分かります。
しかし、やはり紙のレシートと保証書は、自分のためにきちんと管理しておくべきです。
人は意外と電気製品に対して
「一晩寝かせれば直っているかも…」
などという非論理的な対応をするからです。
そうやって放っていて「もうダメだな」と気が済んだ頃、保証期間がちょうど終わったところだった、などという体験をするのです。
「あの時すぐ保証期間を確かめていれば…」
と後悔した経験のある人は私だけではないでしょう。
一枚の紙きれが渡された段階ではあまり意味を感じませんが、そのレシート1枚で私たちの暮らしが大きく変わることがあるのです。
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詩篇第110篇は、書かれた当時より、イエス・キリスト到来後に大きな意味が見出された詩篇です。
少し難しくなるかもしれませんが、イエス様がご自分の神性を主張された個所なのです。
マタイによる福音書の第22章41節〜46節を参照下さい。
イエス様は律法に精通しているパリサイ人たちに、
「キリストはだれの子なのか」
と尋ねました。
答は当然「ダビデの子」です。
そこでイエス様はぐっと踏み込んだ質問をされます。
「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。」
(マタイ22:43)
パリサイ人たちは答えることができませんでした。
正解は、救い主キリストは人としてはダビデの子孫ですが、同時に神なので、ダビデの主、となります。
ここにイエス・キリストの神性と人性が一つであること、人となられた神であることが示されています。
このように、
「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」
(ヨハネ13:7)
ということがあるのです。
今は意味がわかりません。
しかし、後になって
「あのお荷物のような存在は、この事のためにあったのか!」
「あの事がなかったら、今の私はあり得ない」
と知らされる時が来るのです。
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まだお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんが、足で内側から蹴っ飛ばすことがあります。
「元気で成長している」
と周囲の人は皆喜びます。
しかし当の赤ちゃんの気持ちはどうなのでしょう?
お母さんの胎内で足は全く無用のものです。
足があるお陰でスペースが取られ、随分窮屈な思いをしているのではないでしょうか?
しかし一旦外の世界に生まれてみると、生まれる前には無用のお荷物的存在だった足の意味が初めて分かります。
これと同じことが、地上の生涯を終えた死後の世界で起こるのではないでしょうか?
私たちが生きている間、
「なぜこんなものが…」
と思うことが、実は永遠の世界では必要不可欠のもので、それ無しでは生きていけないものになっているのかもしれません。
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今わからないことは、わからないままでそっとしておくことも必要なのです。
神はやがて本当に必要なものを明らかにして下さいます。
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