今日のみ言葉【No.888】(2014年 9月12日)
「まことに正しい者には報いがある。まことに地にさばきを行われる神がある」
(詩篇58:11)
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朝日新聞社の社長が謝罪会見を開き、自らの辞任を示唆しました。
「従軍慰安婦」「吉田調書」等の相次ぐ誤報の責任を取ってのことです。
特に池上彰氏のコラム掲載見送りの処置に対し、複数の内部の社員から実名で「言論の封殺だ」と公に批判されたことが効いたものと思われます。
朝日新聞社の自浄能力に今後期待したいものです。
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詩篇第58篇は激しい呪いの詩篇です。
力ある者、権力者の横暴に憤り、詩篇の記者は彼らに苦痛と悲惨な最後を与えるようにと願います。
そう祈るのにも同情を禁じ得ない訳(わけ)があります。
例えば4節〜5節で、彼らのことを蛇使いの言うことを聞かない毒蛇の「まむし」(新改訳では「コブラ」)のようだと言っています。
これは上に立つべきでない人が権力者となり、誰の言うことも聞き入れずに思うがままのことをするため、周囲が散々な目に遭うことを意味しています。
やがて彼らの上に正しい裁き(この場合は復讐)がなされることを信じ、
「まことに正しい者には報いがある。まことに地にさばきを行われる神がある」
(詩篇58:11)
という信仰の言葉でこの詩篇は結ばれます。
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旧約聖書の詩篇は人間の生の声の祈りです。
ですから、敵に対しては容赦なく
「消え去らせ」(7節)
「吹き払ってください」(9節)
と神に祈り求めます。
人間の祈りとはこのようなものなのです。
しかし新約聖書でイエス様は、
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
(マタイ5:44)
と教えられました。
自分を苦しめる敵など「消えろ!失せされ!滅びよ!」としか祈れない私たちのため、イエス様は一切の呪いを身に受け、十字架にかかり、その命を代償として差し出されました。
その犠牲によって私たちの罪は全て贖われ、罪の借金は全て支払い完了となったのです。
この方を信じる時、私たちは詩篇第58篇の呪いの生活から解放されます。
「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」
(第1ペテロ2:22-24)
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敵を愛せる自分にして下さるイエス様を信じ、今日も一歩成長する道を歩ませていただきましょう。
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