今日のみ言葉【No.876】(2014年 7月24日)

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
(詩篇46:1)

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詩篇第46篇は宗教改革者マルチン・ルターの愛唱詩篇でした。

これを元にして作詞作曲したのが讃美歌267番「神はわがやぐら」です。

讃美歌267番

神はわがやぐら
わが強き盾
苦しめるときの
近きたすけぞ。
おのが力
おのが知恵を
たのみとせる
陰府(よみ)の長(おさ)も
などおそるべき。

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たとい

「地は変り、山は海の真中に移る」
(詩篇46:2)

ほどの天変地異が起きても

「恐れない」

でいられるのは、今日の聖句の通り、神を避け所としているからです。

理論は分かりましたから、あとは神を避け所とする生活を実行するだけです。

そうすれば、何物をも恐れないで生きていられます。

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しかしそれはあくまでも理論です。

人間は現実には恐れます。

その時に必要なのが、

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
(詩篇46:10)

とある通り、静まり、神を意識することです。

あわてふためき、「何か行動を起こさなければ…!」と焦り恐れるまっただ中で、

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
(詩篇46:10)

という御言葉を思い起こす訓練を繰り返すのです。

何度も焦り、

「神様に頼むより自分でやったほうが早い」

と手を出してしまい、しなくともよい失敗を繰り返すことがあるでしょう。

それでもあきらめずに、

「神を避け所とするのだった」

「静まるんだったっけ」

と悔い改めてやり直すのです。

やがて

「悩める時のいと近き助けである」

神の存在が実感でき、落ち着いて

「神様!」

と手を合わせて祈る自分へと変えられていきます。

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M子さんはきっぷの良いチャキチャキとした若いお母さんです。

ある日の夕暮れ、突然教会にワンワン泣く幼い息子さんを抱えて飛び込んできました。

「お願い!祈って下さい!」

見ればお子さんの手から出血。

病院に連絡をとり、急いで行く途中、

「教会に行って祈ってもらってから」

とひらめいたので来たとのこと。

当時まだスタッフだった私は、

「教会になんか来ないで一刻も早く病院に行くべきでは?」

と冷静な(冷たい?)心で思っていました。

しかし牧師夫人はやさしく

「M子さん、神様を忘れないで、よく来てくれましたね。」

と言い、平安があるように、すみやかに癒されるようにと祈りました。

彼女は

「安心しました。安全運転で行ってきます!」

と、教会まで車をすっ飛ばしてきた勢いとは正反対に、穏やかに車を発進させました。

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今日も神を避け所とし、いざという時こそ静まって祈る自分へと導いていただきましょう。

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Posted by wp2016_toko