今日のみ言葉【No.3099】(2023年 6月 8日)「エサウの罪(1)」
「父よ、起きてあなたの子のしかの肉を食べ、あなたみずから、わたしを祝福してください」
(創世記27:31)
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メールの返信が遅かったり、Lineの既読がついていないと気づく時があります。
相手の正確な状況は分からないので、人は瞬間的に「なぜか」を推測します。
(1)「きっと忙しいんだろうなあ」
(2)「私は嫌われているんだ」
(1)の場合は、相手に対する思いやりの気持ちが出る結果となりますが、(2)の場合、憂鬱な気分に浸るという結果になります。
「それならば、わざわざ『嫌われている』などと考えない方がいいのでは」
と思われる読者の方々がいらっしゃるでしょうが、当人にとっては、自分が嫌われているということは疑いようのない事実なのです。
そして、
「きっとこうだ。だからああなっていたんだ。じゃあ、これからはこうなっていくだろう」
と、現実とは違った想像を本物として受け止め、重い気分を味わい、ピントのずれた行動につながっていきます。
エサウの思い込みは、イサク一家の亀裂をさらに広げていくことになります。
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創世記からエサウの人生全体を見ると、彼は単純で素朴な「いい人」だと見受けられます。
もし彼に会ったとしたら、「裏表がない、つきあいやすい人だなあ」という印象を持つことでしょう。
しかし、彼には霊的感受性が欠けていました。
永遠につながる重要なことと日常の軽いこととの区別がつかず、長子の特権という神の祝福を軽視したのです。
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狩りから帰ってきたエサウは早速イサクにこう言います。
「父よ、起きてあなたの子のしかの肉を食べ、あなたみずから、わたしを祝福してください」
(創世記27:31)
エサウの罪は自己中心による誤解です。
彼は自分が父から「長子の特権」という祝福を得られるものとばかり思っています。
ところが、彼はすでにそれを一杯のあつものと交換し、弟ヤコブに売り渡しています
それは戯れではなく、正当な契約として認められるものなので、彼は長子の権利を主張することはできないはずです。
しかし、それを忘れたのか、あるいは、そんなことはお構いなしに自分が思い描いたとおりに人生はなるものだと考えていたのか、とにかく彼は自分が祝福を得られるものだと信じて疑いませんでした。
ここに彼の自己中心の罪が見えます。
まったく的外れの人生を生きているのです。
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さて、自己中心というレンズを通して自分の周りの出来事を見ると、すべて歪んで見えます。
しかし、当人にとってはそれが正しい姿としか思えません。
つまり、自分が正しく、人は間違っている、という解釈になり、その見方はさらに過去にさかのぼっても適用され、「昔からそうだった」ということになります。
自分を中心としてしかものが見えないと、反省というものがなく、うまく行かない原因を相手や周囲の人に求め、自分が悪かったというものの見え方は全く欠落します。
続くイサクとエサウのやりとりはこれを表しています。
以下、次回に続きます。
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霊の目を開けていただく今日として参りましょう。
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