今日のみ言葉【No.535】(2013年 3月25日)
あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。
(申命記28:6)
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今日の聖句は大変景気のいい聖句です。
「あなたはどこに行っても祝福され、今までいたところから離れる時も祝福される。」
ということですから、卒業や入学、転勤や入社の今の季節にうってつけの言葉です。
しかし、耳ざわりのよい言葉だけを選んでいてはいけません。
同じ28章に、
「あなたは、はいるにものろわれ、出るにものろわれるであろう。」
(申命記28:19)
とあるからです。
一体どちらが本当なのでしょうか?
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申命記28章は「祝福とのろい」の章です。
どちらを受けるかは人間の選択にかかっている、とはっきり1節で述べられています。
祝福を受けるのは、
「もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば」
(申命記28:1)
という条件を守った時です。のろいを受けるのはその逆です。
つまり、神に従うなら祝福を得ます。神に従わなければのろいを受けます。
どちらを選ぶかという非常に単純なことなのです。
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現実の人間は罪が既に入っているため、のろいの中にいます。
キリストの福音を知らない人間は、何とかして「のろいを祝福に変えよう」と努力します。
その努力は素晴らしいものです。
しかし聖書は、それは無駄な努力だ、と語ります。
人間はのろいを祝福に変えることはできません。
誰かがそののろいを代わりに受けてくれなければ、人をのろいから救い出すことはできないからです。
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それをして下さったのがイエス・キリストです。
「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。」
(ガラテヤ3:13)
今一度、人間は祝福を選ぶか、のろいを選ぶかの選択を迫られています。
キリストが身代わりになって私の罪を全て負って下さった、という神の福音のメッセージを信じるか信じないか、という選択です。
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…、とこのような説明を聞くと、息が詰まりそうな感じがする人がいらっしゃいます。私もその一人です。
「そうは言っても決められない」、「今のままで何とか…」、というのが本音なのではないでしょうか。
神様は人間の自発的な応答のみが真実であることを知っておられますから、あえてせっつくことはなさいません。
「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。」
(雅歌2:7)
神は福音の知らせをあなたの前に置き、私たちがどう応答するか待っておられるのです。
安易に模範解答に走らず、自分の本音をしっかり見据え、自分の本当の生の声に気づきましょう。
神はそれを待っておられ、そこから生まれる選択を大事にして下さいます。
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神様はどんな答えも尊重して下さいます。
安心して神の前で自分の心の声に耳を澄まして参りましょう。
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