今日のみ言葉【No.498】(2013年 2月 2日)
だれも、むなし手でわたしの前に出てはならない。
(出エジプト記23:15)
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ロンドン五輪、競泳の松田選手が語った
「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」
という言葉は、2012年の流行語大賞候補にもなりました。
先輩の北島選手を思いやり、奮起した後輩たちが400mメドレーで銀メダルを獲得したニュースはとても印象的でした。
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今日の聖句は、神様の前に出る時には、
「むなし手」
つまり、空っぽの手で出てはいけないと語っています。
日本的に言えば「お供え」を持って行くことと似ています。
神と出会い、礼拝する時には、何か「捧げもの」を持って行き、犠牲を払うことが必要だ、という意味です。
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このことを、
「キリスト教も金品を要求するのか…」
と考えてはいけません。
犠牲とは愛なのです。
そして愛はその払われた犠牲によって伝わります。
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人は愛を「お金と時間」で計ります。
この2つが犠牲にされて自分に与えられていると分かると、愛を感じるというのは事実です。
問題児といわれるお子さんたちは、手っ取り早くこの2つを求めます。
あれを買ってくれ、これを買ってくれ、と時に法外な物をせがみます。
親が忙しい時ほど問題を起こすのは、仕事にかける貴重な時間を自分に注いでくれ、という現れです。
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しかし、本当は物やお金が欲しいのではなく、
「子供を愛する親」
という存在そのものが欲しいのです。
何も買い与えなくても、時間を共有し、共にそこに存在するということが最高の贈り物なのです。
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神様も同じです。
私たちの存在そのものが神にとっては最高の捧げものなのです。
高価な物を持って行けば願い事が叶えられ、安物は見向きもされない…、というのは人間レベルで考える神のイメージです。
ありのままの姿で神の前に出て、神を喜ぶことが最高の礼拝です。
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むなし手ではなく、あなたの存在そのものを持って神の前に出て、祈り、賛美し、神と共なる一日を送って参りましょう。
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