今日のみ言葉【No.2905】(2022年 9月21日)「3人の客(2)」
主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。
(創世記18:14)
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3.5m上から落としても生卵が割れない発泡スチロールのケースの紹介がありました。
cu.tbs.co.jp/episode/13778_2026377_1000028088
(「がっちりマンデー」(TBS)。今週土曜日まで視聴可能)
技術革新によって、今まで無理だったことが大丈夫になっています。
聖書は不可能を可能にする神の存在を教えています。
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アブラハムは3人の客を迎えました。
「主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた」
(創世記18:1)
とあるように、一人は主なる神であり、受肉前のキリストと考えられます。
残りの二人は御使です。
神の訪問だと知ったアブラハムは、割礼の傷の痛みがあっても、全力でこの3人をもてなします。
そのうちのひとりが、天幕の中にいるサラに聞こえるように、
「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」
(創世記18:10)
と言いました。
すると、それを聞いたサラは、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」
と言ったでしょうか?
イエスの母マリヤの信仰とは遠く及ばず、彼女の反応は
「サラは心の中で笑って言った、『わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか』」
(創世記18:12)
という極めて俗っぽいものでした。
夫アブラハムも神の宣言に笑いましたが、妻サラもまた笑ったのです。
しかし、神の言葉はこうです。
「主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」
(創世記18:14)
神は人から笑われてもビクともしません。
それは、人間にとって不可能が常識でも、神の世界にあっては可能が常識だからです。
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ところで、今日の箇所は文脈を無視して単独で利用されやすいところです。
「主にとって不可能なことがありましょうか」
だから、
「神に祈り願ったことは不可能なことでも可能になる」
と信じるところまではOKです。
ところが、人間は罪人なので、神よりも自分を上に置いて、神を自分のしもべとして利用するためにこの御言葉を使おうとします。
すると、その通りにならないケースに出遭い、
「神様なんてどこにいる!御言葉の約束なんて嘘八百だ!」
と心の中で思う人もいます。
自分の利己的な欲望の充足のために使っていることを知らないからです。
では、この箇所の真の意味はどういったものなのでしょう?
また、正しい解釈の仕方とはどうなのでしょう?
以下、次回に続きます。
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「主にとって不可能なことがありましょうか」と単純に信じる今日を過ごして参りましょう。
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