今日のみ言葉【No.402】(2012年 9月19日)
さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、
(第1テモテ3:2)
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私が神学生の時、神学校の老教授が、
「君たちがどこの教会に遣わされても良いように、説教が飽きられない秘訣を教えておこう。」
と特別指導をして下さいました。
教会には初心者の方も、信仰歴何十年の教会員も来られます。
20代の若造の説教など、ベテランの方にとっては簡単すぎて退屈でしょうし、かと言って、説教を難しくしたのでは初心者の方はわからなくて自信を失ってしまうでしょう。
そこで、牧師を長く続けられるための礼拝説教の秘密のレシピは、
「簡単な話9、難しい話1」
の割合にすることだ、というのです。
これだと、初心者の方が説教を聞いても、
「今日のお話は私でもほとんどわかりました!ちょっと難しいところがあったけど、これなら教会に来ても大丈夫そうです。」
となり、ベテラン信徒の方にとっても、
「先生の今日のお話は基本に忠実で、良き復習になりました。しかしながら、今日は1つ収穫がありました。家に帰ってよく調べてみます。」
となり、満足して帰られる、というわけです。
私がその通りできているか確信は持てませんが、20代の若造らのために配慮してくださった老先生の愛は今でもしみじみと感じます。
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テモテへの第1・2の手紙は、若くして教会の監督(牧師)として任命されたテモテに対して、どのように教会を牧会していくかをパウロが指南した手紙です。
今日の聖句を読めばわかるように、
「さて、監督は、…」
と、教会のリーダーとしての資質や条件が7節まで目白押しに並んでいます。
通常、人の上に立つ人には数多くの条件が求められます。
能力の無い人が上に立ってしまうと、その人に従う集団は大変な目に遭うからです。
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テモテは教会を預かる責任を重く感じ、胃潰瘍になりました。
どうやら彼は、神経が繊細で真面目であり、また、誰でも陥ることですが、この条件を我力で満たそうとして身体の限界に達したようです。
「非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、」
という条件は、自分を鍛え上げて到達するものではなく、キリストにつながった結果としての「実」なのです。
外から見ても内から見ても、このような実を結んでいる人が監督となるにふさわしい、ということです。
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イエス様は、
「良い木は良い実を結び」
(マタイ7:17)
と語っておられます。
キリストと結びついていれば、良い実をならせていただけるのです。
キリストと深く結びつくとは、信仰がアクセサリーではなく、
「本当にこの方が私の罪のために死に、こんな私が赦され、生かされ、神の働きのために用いられている。」
と感じながら生きていることです。
そうやって生きる生活の中で、「実」が結ばれていくのです。
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神学校の別の教授は、自分がどうやって牧師として生きる確信を得たかを話し、私たち神学生を励まして下さいました。
その先生は、テモテと同じように、自分の内側を垣間見る時、どう考えても人をイエス様に導く牧師としての資質が十分だとは思えませんでした。
むしろ見えるのは、自分の至らなさ、愛の無さばかりです。
絶望の淵に立ったその先生の心に、神様が優しく語りかけて下さいました。
「そのお前を私は愛している」
その瞬間、命が内側から盛り上がるのを感じました。
「この私が愛されている。一番愛から遠く離れたこの私が愛されている。これなら伝道できる!」
と雷に打たれたように神のインスピレーションを感じたのです。
人は立派だから神と結びつけるのではありません。
全然資格が無く、条件も満たせない存在であるこの私が、
「キリストの十字架によって赦されている」
と信じるからこそ救われ、神と結びつけるのです。
条件という実はそこから生まれてきます。
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ありのままの私を愛して下さる神の愛に目を留めて参りましょう。
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