今日のみ言葉【No.397】(2012年 9月13日)
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。
(第2テサロニケ1:4)
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テサロニケ人への第2の手紙は、特にキリストの再臨を強調した内容が特徴となっています。
当時の人々は、自分が生きている間にイエス様が天から再び来られ、この世を裁く、と考えていました。
「そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。」
(マタイ25:32-33)
キリストを信じて罪無しと認められた者は天国に入り、罪ある者は地獄に行く。そしてそれはまもなく起こる、と信じていれば、迫害や患難があっても耐えることが出来るのです。
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但し注意点が2つあります。
ただ「耐えよ」と言われても、そうはそうは襲い来る試練や迫害に耐えられるものではありません。
主の再臨があるから、そしてそのことを当然のこととして信じ、やがて来るその日に希望を持っているので、患難に耐えることが出来るのです。
まず再臨を待望する信仰が先に無ければなりません。
この世の終末という一種恐ろしい出来事が、むしろこれ以上ない希望の日と見えているからこそ出来ることなのです。
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もう一つは、神様は困難を乗り越える力を与えて下さいますが、人間の側で、
「何でも来い。ドンと来い!」
と無差別に試練を受け入れてはいけないということです。
「信仰の量りにしたがって」
(ローマ12:3)
とあるように、各々の分に応じて試練を受け入れていくことが忍耐を必要とする時の一つの大きなポイントです。
たとえば、食塩365gを一度に飲み込んだら人は死んでしまいますが、1日1gずつ1年間食べても何も起こりません。
厚生労働省が推奨する適正な塩分摂取量は「1日10g以下」ですから、1gの10倍です。私たちは普通に年間3650gの塩分を取り入れ、何でもなく生きているのです。
思うべき限度を越えて思い上がることなく、謙遜に問題に取り組み、与えられた試練に精一杯立ち向かうことを繰り返していくうちに、困難の山を乗り越えている自分に気づくのです。
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神様が与えられた困難や試練を、淡々と、少しずつ、希望を持って解決する一日として参りましょう。
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