今日のみ言葉【No.384】(2012年 8月29日)
あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
(ピリピ1:4)
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ピリピ人への手紙は、喜びの書簡、と言われています。
それくらい喜びに溢れ、この手紙を読む人たちに、喜ぶことを命令しているほどです。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」
(ピリピ4:4)
パウロは一体どんな幸福な環境にいたのでしょうか?
彼はローマの獄中からピリピの教会宛に手紙を書いたのです。
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牢獄という困難な環境の中では、どうしても
「不自由さ」
つまり、あれもできないこれもできない、こちらも具合が悪い、思う通りにならない、という不快感ばかりが際だって感じられます。
パウロはこれらの事に目を留め、改善できたから喜びを感じた…、のではありません。
彼が入獄することによって、キリストの福音が兵営全体に知れ渡り、そして教会の人々がこのことをきっかけにして益々福音を語るようになったことを知ったからです。
その点で、何も出来なくなることは祝福です。
今まで出来なかった、
「手放す」
ことが出来るようになるからです。
「自分が何かできたから喜びを感じられる」
という世界から、
「神様が働いて自分がやれる以上の祝福をもたらして下さる。だから喜べる」
という世界へと移ることが出来るのです。
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私事で恐縮ですが、お医者さんから
「顎関節症です。原因はストレス。」
と10日前に言われ、思い当たりました。
去年亡くなった父のお墓の建立、納骨式、支払い、新盆の諸行事、残された母の介護等、今年の夏はチャレンジが多かったのです。
そして先日の礼拝が終わって昼食の素麺を口にした途端、
「ゴキッ!」
と音がしてアゴに激痛…。ここ3日間、口を開けられずに過ごしておりました。
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ありがたいことに私の妻は元看護師。
マンガの虫歯ちゃんのように包帯で顔をしばり、頭の上でリボン結びにしてくれました。
キュウリの漬物を食べてもアゴに痛みが走るので、食べるものは、
おかゆ、茶碗蒸し、バナナ
などを用意してくれ、妻の愛に感謝しました(^^)。
ただ、
「これ以上ひどくなったら大学病院の口腔外科に行って、○×△%#…」
とクールな看護師の口調になった時には、真夏の怪談話を聞くよりゾッとしました。
( ̄□ ̄;)!!
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噛めなくなって気づいたことは、食べ物の味です。
少量をゆっくりと、痛みを感じないように、そっと食べると、今まで気づかなかった食べ物の味が口の中に広がるのを感じます。
神様はこういう幸せを今までもずっと与え続けておられたのか、と思い至りました。
しかし今までの私は、車にガソリンを入れるがごとく、胃袋に食べ物をエネルギー源としてガーッと入れるような食べ方でした。
繊細な味付けを感じる暇もなく生きたきたことに、初めて気づかされ、
「あんなに沢山食べなくても、人間は生きていけるんだなぁ」
と、神の恵みに気づかされた3日間でもありました。
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神の与える喜びは、私たちが何も出来なくなる時、すなわち、何もかも手放さなければならない時に、一番よく見えてきます。
自分の無力さを感じる時は、落胆することなく、神様がこれから喜びを与えて下さる、と期待しましょう。
主の御手はあなたと共にあります。
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