今日のみ言葉(2012年 5月17日)【No.308】
すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。
(使徒10:15)
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その昔、貧乏な神学生が魚屋さんに行きました。
わずかなお金で何を買えばいいか分からなかったので、彼は魚屋のおじさんに2つのものを渡しました。
持っていたお金全部と、旧約聖書できよくないとされる魚介類のリストです。
「ここに書いてあるもの以外で僕が買えるものを下さい」
おじさんはそのリストを見て、
「お兄ちゃん、大したもんだね。もしこれを食べて食あたりを起こしたら、大変な目にあうものばかりだよ」
と褒めてくれたそうです。
旧約時代、神がきよくないとされたものには、人間を守るそれなりの理由があったのです。
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しかし、人間が誤って神の律法を解釈していたことがありました。
その当時、ユダヤ人は神に選ばれた民なのできよいが、それ以外の民、異邦人は汚れているとされていたのです。
ですから、ユダヤ人は異邦人との接触を極端に嫌いました。
これでは救いの福音は全世界に伝わりません。
そこで今日の聖句の
「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」
という神の言葉が夢の中でペテロに下ったのです。
「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
と、神はきよくない生き物を示しました。
ペテロはそれはできないと3度抵抗したところで夢から覚め、これは何のことかと思いめぐらしていました。
ちょうどその時、同じように神から示された異邦人コルネリオの使いがペテロの所に到着し、彼は神がユダヤ人と異邦人との間の境を無くされたのだということを理解したのです。
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イエス・キリストの救いが完成した新約の時代には、人種や国の差別はありません。
どんな人も、イエス・キリストを自分の罪の救い主だと信じるだけで救われ、永遠の命がいただけます。
しかし弟子のペテロでさえ、人間が作った習わしや伝統に縛られていました。
これを破って新しい道を作られたのは神です。
神が障害を破られ、ペテロはその後を追っていったのです。
私たちにも今日様々な問題があるかも知れません。
しかし、私たちがその山を自力で越えるのではなく、神が越えて行かれるその後を辿っていくのです。
神の後からついて行くこと、そのことを忘れずにいたいものです。
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神の導きに敏感でいる一日となりますように…。
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