今日のみ言葉(2011年6月7日)【No.79】

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを
耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられ
るように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(第1コリント10:13)

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人気テレビドラマ 「JIN −仁−」では、

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

というキャッチコピーが人々の関心を引いています。

原作のマンガにはない言葉なので、おそらくテレビ用に担当者が書き加えたのでしょう。
それにしても魅力的な言葉です。

この文字通り、試練は全て乗り越えられるとしたら、私たちは無敵です。

「あきらめなければ必ず目的を達成できる」ということだからです。

しかしこれは、精神的励ましの意味ならいざ知らず、現実的に考えてみると必ずしもそう
ではないことがわかります。

たとえば高校野球甲子園大会で優勝できるのは1校のみです。他の全てのチームは他校と
の戦いという試練を乗り越えられなかったということになってしまいます。

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今日の聖句は、「悪をむさぼることのないように」、という文脈の中で語られた言葉です。

古代イスラエルの民はエジプト脱出後、40年間荒野での訓練を受けました。

せっかく奴隷の身から解放され、神の約束された土地カナンへ導かれようとしていたのに、
民の大多数は神を忘れ、自分の欲に溺れ、悪をむさぼりました。

聖書はこれを「偶像礼拝」という言葉で表現しています。神でないものを神とすることで
す。

結果として、エジプトを脱出してカナンに入れたのはヨシュアとカレブの2名だけでした。
他は全て荒野で生まれたエジプトを知らない人たちです。

いつ落とし穴にはまるかも知れないという現実の中を歩む人間が、知らず知らず正しい道
から逸れ、落ちていくのはいともたやすいことなのです。

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「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」(12節)

聖書は、自分の力を頼らず、神に頼れと語っています。

神と共に歩むなら、試練に出会ってもそれは耐えられない試練ではなく、逃れる道も神が
用意していて下さるからです。

ちょうどそれは自分のカンで知らない街を運転するのと、最新のカーナビを搭載した車を
運転する違いのようなものです。

カーナビは最低3台の人工衛星を使います。地球の遙か上空からの電波をキャッチし、大
気の状況や地球の重力、衛星の速度による時間のずれを相対性理論を用いて計算し、瞬時
に正確な位置を表示します。

何と贅沢なシステムではないでしょうか!

この人生のカーナビに従って進んでいけば、行き詰まりと思える時にも道が見つかり、に
っちもさっちもいかない状況でも退避の道が見出されてくることをあなたも体験なさいま
す。

試練は全て乗り越えられるものではありません。聖書が約束しているのは、耐えられる試
練です。

試練や誘惑に負けることはいくらでもあります。しかし、そこから逃れる道があり、やが
て回復への道も神様は用意しておられるのです。

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長嶺由宇さんは高校教師としての自分に行き詰まり、ガス自殺を図りました。爆発事故と
なったため新聞に報道され、関係者は事態の収拾に追われました。

命は助かりましたが、彼の社会的人生は終わりのように見えました。

しかし、彼のご両親はあきらめませんでした。何度も米沢に来ては、「息子をお願いしま
す」と頭を下げて頼む、ということを毎月のように繰り返されました。

特にお父様は、ご自分の病による命の限りを知っておられたので、本当に命がけのお願い
でした。最後の数回は来られるたびにやせ細っていくのが目に見えてわかりました。

やがて由宇さんは教会に来られ、罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として受け入
れクリスチャンとなりました。今や彼はその命を歌声に乗せ、全国の講演会で人々に慰め
と励ましを届けています。

お父さんはその息子の姿を目にすることはできませんでしたが、息子の回復の道作りのた
めにその命を使い尽くされたのです。

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どんな時にも救いの道が用意されています。神様が作られた道を見出す一日として参りま
しょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama