今日のみ言葉(2011年10月19日)【No.172】
「兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。」
(第1コリント3:1)
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今日の聖書個所は、パウロがコリントの教会の人たちに対して叱責しているところです。あなた方はまだ霊的に幼な子だ、と言うのです。
この場合の幼な子は、良い意味で使われてはいません。続く3節にこう書かれてあります。
「あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。」
つまり、聖書の深い真理を聞いても悟るほどの力も無く、クリスチャンとは名ばかりで、世の人と変わりなく妬んだり争ったりを繰り返す生活をしている人たちのことです。
この聖句を読むと、自分に対して言われているようで、思わずドキッとしてしまいます。
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この霊的にも社会的にも未成熟なクリスチャンたちはいない方が良いのでしょうか?
教会にとって不利益だから、去ってもらった方がキリスト教発展のためには良いのでしょうか?
答は「ノー」です。
どんな人も、キリストにある幼な子も成熟し練達した働き人も、いのちの書に名前が記されている限り、神のファミリーの一員です。
神はイエス・キリストの十字架で私たち一人一人に罪の赦しを与え、その事を信じる者を神の国に迎え入れると約束されました。
神の家族に入るのは、あなたの成長にかかっているのではありません。神の契約、約束の確かさによっているのです。
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叱責したパウロは、このコリントの手紙の冒頭で、
「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ」
と記しています。キリストにある幼な子は、初めから「聖徒」として見られているのです。
聖なる者として神の目で見られている恵みを味わい、そこから更に聖徒としてふさわしい歩みができるようにパウロはコリントの教会に語ったのです。
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神は私たちを神の家族の一員として、聖なる者としてご覧になっています。
その視線を感じつつ、恵みの一日を過ごして参りましょう。
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