今日のみ言葉(2011年10月22日)【No.175】
「わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。」
(ホセア14:4)
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神の愛は喜んで愛する愛です。自由に人間を愛されます。
「自由に」とは「好き勝手に」という意味ではありません。
人間の状態がどうあろうと、そのことによって神の愛は妨げられないということです。
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人間が不平を言っても、神は喜んで愛されます。
心がかたくなであっても、神は喜んで愛されます。
「キリストが必要だとは思えません」と言っても、
「キリストが必要だと感じるあなただから愛するのではない。私は喜んであなたを愛する」
と言って、神はあなたを愛されます。
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今日の聖句は神の愛の確かさを語っています。
この保証があるところでは、神に背く者も安心して帰ってくることができます。
キリストを知らないと3度否定したペテロがこれにあたります。
そのペテロに対してイエス・キリストがしたことは、振り向いてただ彼を見つめられたことだけでした。
赦しの世界にあっては、人は再び失敗した地点に帰ってくることができるのです。そしてそこから新たな歩みを始めることを可能とします。
これに対して、人の落度を取り上げ、叱り、それで事足りた…、とする世界では、自分が足を踏み外した場所を思い起こすだけで恐怖にとらわれ、二度とそこに戻るものかとますます自分を遠ざけてしまいます。
一人の人が立ち直るためには誰かが悲しみを担う必要があるのです。
神の自由な愛、喜んで愛する愛の陰には、十字架で傷ついたキリストの御手があります。
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主の愛の確かさに支えられて参りましょう。
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