今日のみ言葉【No.1823】(2018年 8月30日)「 救い(3)」

わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
(コロサイ1:14)

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「実家の親にどのくらいの頻度で連絡をとっていますか?」

この質問をされると心がちょっと痛むという方もいらっしゃるでしょう。

介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんによると、子の方から連絡するのが盆正月のみの人がいるそうです。

その理由は「何かあれば親の方から連絡してくるはず」。

ところが、親が電話をかけてきても「忙しい」オーラ満載の雰囲気で話す息子の場合、ちょっとのことで「具合が悪い」とは言えなくなります。

親としては子に心配をかけたくありませんから、何かあっても「言わない」という選択をします。

親が見えない所で犠牲となってくれているので子は自由に生きていることができます。

これと同じように、キリストの犠牲によって生かされることを「贖われた(あがなわれた)」と言います。

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キリスト教用語の「あがない(贖い)」とは、古代の奴隷市場で代価を払って奴隷となった人を買い取る時に使われる言葉でした。

聖書ではキリストがご自分の命を代価として差し出し、罪の奴隷となっている人間をサタンの手から買い取って自由にしたことを言います。

人は人生をどう生きようと自由ですが、やがて死んだ後、与えられた命をどう使ったかの査定が行われます。

これを神の裁きと言います。

神の御心に反し、罪を犯した場合、その代償を払わなければなりません。

払えない場合は、私たちが「地獄」という言葉として知っている場所に行き、犯した罪の分の苦しみを味わわなければなりません。

それが永遠に続く場合、私たちの後悔はどんなに大きいことでしょう。

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しかし、イエス・キリストはこのような私たちの身代わりとなって、神の審判の死を引き受けられたと聖書は宣言しています。

キリストは十字架上で死に、神に反逆した人間の罪を全て贖われたのです。

こうして、全人類は罪と死から救われるようになりました。

この福音を信じるだけでよいのです。

自分の力で罪の代価を払おうとせず、代わりに贖ってくれた人がいる、それがイエス・キリストだと信じるだけで罪ゆるされ、自由と平安が与えられます。

キリスト教の救いとは「キリストが私の代わりに完全に罪の代価を支払って下さった」という贖いを事実として受け取り、信じて生きていくことなのです。

そしてその後は、キリストの贖いに現れている神の愛を一身に受け、キリストが遣わす聖霊の導きによって人生を歩んでいくのです。

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さて、先ほど話した介護の話の中の、「忙しいオーラ満載の息子」とは何を隠そう私のことです。

やがて親の大病、認知症が明らかになり、いざ親の介護に直面しなければならなくなった時、対応は後手後手となりました。

「後手になるのは自滅への第一歩。親に対して『連絡してくれていいんだよ』オーラを漂わせておきたいものです」
(『親の介護で自滅しないための選択』、太田差惠子著、日本経済新聞社、P37)

という言葉が身にしみます。

その際、自分で全部やらねばならぬ、と思っていたら本当に自滅していたことでしょう。

実際は私を助けてくれた方々がたくさんいらっしゃったので、私がため込んでいた「ツケ」を代わりに払ってもらった感じがしています。

兄弟、親戚、ケアマネージャー、ヘルパーさん、教会の皆さん等々、それぞれの分野で荷を代わりに担っていただいたおかげで今の私があります。

人間は分担しなければなりませんが、罪の身代わりはイエス・キリストという神の子の命が捧げられたのですから、それ以上の他のものは必要ありません。

キリストを信じるだけで全ての罪はゆるされるのです。

後はこの救いに感謝しての「お返し」の人生です。

救われた喜びで今度は他者の重荷の一部を担わせていただくこと。

これがクリスチャン人生の生き方です。

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キリストの贖いに思いを馳せる今日として参りましょう。

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