今日のみ言葉【No.1746】(2018年 5月 8日)「 神の『…してあげよう』」

「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
(マルコ1:17)

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「飲食店の寿命は6年」という説があります。

食の流行はすぐ変わりますから数年で飽きが来るのです。

なるほど、経営に気を使っているお店ほどリニューアルして新規のお客様をつかもうとするわけです。

ところが、今までその飲食店を贔屓にし、支えてくれていた常連客ほどリニューアルを嫌います。

今までのメニューや店構えが良くて来ていたのですから、別なものに変われば来なくなるのです。

ここで経営者の決断が必要です。

常連さんに頼るだけの経営ではやがて衰退して店を閉じることになります。

リニューアルして行った先に何があるのか?

神を信じる者の人生には、神の導きに従って行った先に、神の「…してあげよう」があると聖書は語ります。

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イエス・キリストは公生涯を始められてすぐ弟子となる人々を呼び集められました。

まず、シモンとシモンの兄弟アンデレでした。

「彼らは漁師であった」
(マルコ1:16)

とマルコは記しています。

イエス様が彼らにかけた声は

「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
(マルコ1:17)

です。

これはあなたにとっては何の意味も持たない言葉かもしれません。

しかし、漁師であった二人にはこれが「ピタリ」と来ました。

神の声はその人にとって一番わかる内容で語られるのです。

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キリストの招きは機械的応答を求めるものではなく人格的応答を求めるものです。

つまり、強制的に従わせられるのではなく、キリストに従う決心はあくまでその人の自由意志によってなのです。

従うこともできるし、お断りすることもできます。

断ったからといってその後の仲が悪くなるとか、天から災いが下されるとかということはありません。

「言うことをきかないと祟りがあるぞ」と脅すのは、恐怖によって支配しようとする原始的宗教かカルト集団の初歩的手口です。

キリスト教はそうではありません。

エデンの園でアダムとエバがヘビの誘惑にさらされた時、神様が出てきて「それはダメだよ」と言ったなどという記述はありません。

選択の自由を神は完全に保証されるのです。

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ただし、自由に選択できる時、つきものなのは「迷い」です。

「あれか、これか」

「運命の人はあの人かこの人か」

人間は自由に選べる時に出る「迷い」を経験します。

そして、自分で人生の結論を出し、決断せねばならない時に「不安」を経験します。

「果たしてそれで良いのか…」

「将来不幸にならないか…」

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信仰による決断とは、このような迷い・不安を通る時に、

「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
(マルコ1:17)

と言われるイエス・キリストを信頼して生きるということです。

つまり、神が自分に語っていると示される時には、その先に神の「…してあげよう」があると信じて進んでいくのです。

シモンとアンデレにとっては彼らにふさわしい「…してあげよう」がありました。

それは「人間をとる漁師にしてあげよう」でした。

あなたにもあなただけの「…してあげよう」を神は用意しておられます。

神は私たちの人生の最善の道をご存知であり、私たちにふさわしい最高の人生を送らせようとして導いて下さるのです。

しかし、神は決してあなたの自由意志を無視してまで進めようとされる御方ではありません。

あなたと共にあなた自身の人生を作り上げようと意図しておられる御方なのです。

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人生を誰と共に生きるか。

この決断を新たにする今日として参りましょう。

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