今日のみ言葉【No.1714】(2018年 2月27日)「 耐え忍ぶ」
しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
(ユダ20-21)
——————
霊肉二元論という考え方があります。
ごく簡単に言うと、肉体は悪でその中に閉じ込められている霊を救うというものです。
肉体を否定する人々は禁欲主義に走り、肉体は霊の救いとは関係ないと主張する人々は放縦主義に走りました。
キリストの福音によって与えられた自由を乱用する人々です。
-*-*-*-*-*-*-
「ゆるされているのだから何をやっても構わない」という考え方を持つ人々は、ユダの手紙の中で
「不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定している」
(ユダ4)
と表現されています。
もしかしたらこれらの人たちは真面目にそう考えていたのかもしれません。
しかし、真面目さや熱心さは必ずしもそれが正しいということの証明にはなりません。
旧約聖書の偽預言者同様、彼らは偽クリスチャンとなりました。
聖書は以前から神の裁きがこのような人々に下されていたことを語っているからです。
「主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい、…、ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている」
(ユダ5、7)
-*-*-*-*-*-*-
私たちが考えていることは、ほとんど全て、過去において誰かがすでに同じように考えていたことです。
同様に、あなたの悩みも全く新しいものではなく、過去において誰かが同じように悩んでいたことです。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない」
(第1コリント10:13)
ここに聖書を学ぶ意義があります。
聖書に登場する人物の失敗とそれに対する神のお取り扱いを知れば、これから自分がしようとすることの結果も自ずと明らかにされるというものです。
あなたが周囲の無理解や誤解、そして人々が間違った方向に進んでいるのを心配すれども、どうしようもない無力さを感じるとき、初代教会のクリスチャンたちも同じ思いを味わっていたことを覚えましょう。
そしてその際の生き方はこうだと聖書は語ります。
「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい」
(ユダ20-21)
耐え忍ぶのです。
1年でも2年でも、5年でも10年でも…。
その間に磨かれたあなたの人格と信仰は、やがて「いぶし銀」のような輝きを放ち、言いたい放題したい放題の生き方をしていた人々の人生は、あっけなく、もろくも崩れ去ることを見るでしょう。
「また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」
(マタイ7:26-27)
-*-*-*-*-*-*-
神の言葉は真実です。
試練の中で耐え忍び、信仰を磨く今日として参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
※御言葉メールが届かない方へ
ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.org
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません