今日のみ言葉【No.1711】(2018年 2月23日)「 試練への対処法」
愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
(第1ペテロ4:12-13)
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秋の終わりに急に寒くなった頃、ヒーターやエアコンのスイッチを入れて暖を取ります。
温度設定を20度にしてもまだブルブルと冷える感じがします。
しかし、真冬の2月になると逆に20度は暑すぎます。体が寒さに慣れるのです。
試練も同じことが言えるようです。
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今日の聖句では、試練が降りかかってきたときに、
「何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく」
(第1ペテロ4:12)
と述べています。
私たちは空から雨が降ってきても当然のこととし、外に出るときは傘をさし、長靴を履いて歩き、薄暗い日中を過ごします。
誰も雨が降る事を「驚きあやしむ」人はいません。
試練も同じだというのです。
人生には晴れの日のような祝福に輝く日もあり、雨の日のように試練が降る日もあります。
それはクリスチャンであるかどうかには一切関係ありません。
神を信じている人には祝福のみがあり、信じていない人は試練の道を歩むなどということはないのです。
神を信じている信じていないに関係なく、人生には苦労があります。
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ではその
「降りかかって来る火のような試錬」
(第1ペテロ4:12)
にはどう対処したらいいのでしょうか?
まずそれは
「あなたがたを試みるために」
(第1ペテロ4:12)
とあるように、神から出ている試練なのだと理解することです。
どこまで神を信頼しているのかと信仰が試され、自分の限界が明らかにされる、いわば抜き打ち試験のようなものだということです。
問題を作った先生が神様で、試験監督が意地の悪いサタンなのかもしれません。
サタンは
「お前の先生はこんな問題を与える悪い先生だなあ」
「こんな問題できるわけがない」
とささやいてくるでしょう。
そのときは、
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」
(ヘブル12:6)
の御言葉を思い出しましょう。
試練への対処法の第1番目は、神を思い出すことです。
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試練への対処法の第2番目は、
「キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい」
(第1ペテロ4:13)
とあるように、喜ぶことです。
これは試練が解決した先のことをあらかじめ思い描き、先取りの喜びをすることです。
どうやったらこの試練が解決するのか、と思い悩む方に頭を使うのではなく、試練は解決したものとして、その先の喜びを見ていくのです。
なぜなら、試練には定められた期間があるからです。
問題の最中にいる時は、未来永劫、いつまでもこの問題に終わりが無いように感じるものです。
しかし、どんな問題も永続することはありません。
必ず何かの形で決着するのです。
クリスチャンには
「キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである」
(第1ペテロ4:13)
と、最終的決着が約束されています。
そのことを思い描き、
「この試練には終わりがある。問題は必ず解決する」
と信じて喜ぶことが第2番目の方法です。
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3つ目は生活上の工夫をすることです。
試練があることを重荷と感じる人は、まだ寒さに慣れていない11月頃の体なのです。
寒さに慣れる体に徐々になっていくように、私たちは試練に慣れます。
「ああ、いつものアレが来たか」
と思えるようになるのです。
習慣化するということがポイントです。
子供に歯磨きの習慣をつけさせる際に、どんな子でも最初は嫌がります。
しかし習慣化すると、今度は歯を磨かないで寝るとなんだかモヤモヤして眠れません。
試練が来るたびに「ドンと来い!」と覚悟を決めてやり続けていくと、試練に対する手順がわかってきます。
やがてそれが習慣化すると、考えなくてもいつの間にかやっている自分となります。
そこまで自己訓練するのです。
その訓練の日々を神は愛をもって見守っていて下さいます。
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試練を料理する名シェフとなる道を今日も歩んで参りましょう。
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