今日のみ言葉【No.1553】(2017年 6月26日) 089 「復活のイエスと会ったマグダラのマリヤ」(1)
「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」
(ヨハネ20:2)
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歌舞伎役者で小林麻央さんを妻にした市川海老蔵さんの胸中は戦いの連続だったと思われます。
妻の命が助かる望みを持ち続けることと、やがて来る死を受け入れなければならない思い。
察するに余りあります。
ヨハネ福音書第20章に出てくるマグダラのマリヤは、イエス様の死を受け入れることに懸命になっていました。
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安息日が明けてすぐ、イエス様を葬った墓に来た婦人たちの中にマグダラのマリヤがいました。
彼女はかつてイエス様に7つの悪霊を追い出していただいた人物として知られています。
「また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ」
(ルカ8:2)
彼女はイエス様によって癒やされ、どん底から救われた感謝の応答として、他の婦人たちと共にイエス様と弟子たち一行のお供をし、奉仕をしました。
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ところが、そのイエス様が十字架につけられ、彼女の目から見れば「殺されて」しまいました。
彼女はもちろんイエス様が墓に葬られ、大きな石で封印された時まで立ち会っていたでしょう。
イエス様が金曜日の午後3時に息を引き取られ、女たちが日曜日の早朝に墓に来た時刻を午前3時とすると36時間経過しています。
その間、彼女の心の中には、「イエス様は死んでしまったのだ」「人は死んだらそれで終わりだ」という考えが繰り返し巡っていたものと想像されます。
彼女はそうやって強制的に自分の心を納得させ、悲しみに沈む心を無意識に癒やそうとしていたのでしょう。
ですから、よみがえりを示唆する一連の事実が目にも耳にも入ってはいても、それを飲み込むことができません。
石が取りのけられた空の墓を見た時、イエス様が語られた復活の預言の成就だとは思えず、マグダラのマリヤは
「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」
(ヨハネ20:2)
と弟子たちに言うことしかできなかったのです。
彼女は「死んだイエスを探すマリヤ」でした。
ただひたすら「終わった」「もう無理だ」という事実だけを集めようとしていたのです。
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私たちは彼女を笑うことができません。
マグダラのマリヤは自分を立て直すことに必死だったのです。
かと言って明るい未来を思い描くことなど無理です。
ムクムクと湧いてくる「なぜ」「どうして」という思いを、「終わったのだ」という思いで強制終了させ、打ち消さなければ生きていけない。
それがマリヤの姿であり、私たち人間のありのままの姿なのではないでしょうか?
ここに命を与え、新たに生かすのが復活のイエス・キリストです。
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命に満ちた復活のキリストと出会う前には闇夜があります。
「終わり」の次に「始まり」があるのがクリスチャンの人生です。
キリストとの出会いを待つ今日として参りましょう。
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