今日のみ言葉【No.1535】(2017年 5月22日) 084 「ピラトとユダヤ人」(1)

それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。
(ヨハネ18:28)

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「お客様は神様です」

かつて大阪万博でテーマソング「世界の国からこんにちは」を歌った国民的歌手、三波春夫さんの名言です。

これを文字通りに捉える人はいません。

そこに流れる徹底的にお客様にサービスする強い意志を感じ、人々はウ〜ンと唸るのです。

対照的に、ユダヤ人たちの思惑に流されたのがピラトという人でした。

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影の実力者アンナスとその娘婿の大祭司カヤパによる非公式のユダヤ人式裁判の後、イエス様はローマ人の総督ピラトのもとに連れて行かれました。

ユダヤはローマ帝国の領地となっていたので、自分たちが勝手に裁判をして死刑の執行をすることは出来なかったからです。

あくまでローマが裁判をし、ローマが刑を執行しなければなりません。

それでどうしても総督ピラトのもとで裁判を開いてもらわなければならなかったのです。

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ピラトは今風に言えば地方出向の支店長のようなものです。

東京本社から山形支店へ、次に岡山支店へ、札幌支店の次に東京本社に戻る、というようなものです。

彼の目はあくまでもローマ本国に向いています。

ローマに戻るためには地方勤務で良い成績を挙げておかねばなりません。

総督として勤務している時に、その地で反乱が起きてローマ本国から沈静化のために軍隊を派遣してもらったら、統治能力が低いということの証明となってしまいます。

ですから、何も起きないことがベストなのです。

問題も何も起きず、平穏で、人々と良き関係を持ち、そして次の勤務地へ向かう…。

これがピラトにとって最善のシナリオでした。

そのためには、ユダヤの地で人々のためになる政策をするとか、新しい事業を推進するなどということはしません。

そんなことをすれば、意外な利害関係が生じたり、次々と解決すべき問題が発生する可能性があるからです。

今まで通り、何も変わらず、そのままにしておきたい、というのがピラトの本音だったことでしょう。

そのことはユダヤ人から夜明けにたたき起こされた後の一連の彼の行動を通して読み取ることができます。

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イエス様はアンナスの所から、このときの大祭司カヤパの裁判を受けた後、総督ピラトの官邸に連れて行かれました。

「それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった」
(ヨハネ18:28)

夜のうちに全てを準備し、明け方早く、真っ先に官邸に駆け込んだのです。

彼らのイエス様に対する憎しみと、早く有罪、つまり死刑にしてこの世から亡き者にしてしまいたいという思いが読みとれます。

さて、ピラトは総督でありユダヤ地方一番の権力者なのですから、家来の者に

「何だこんな早く。もう少し寝ているから連中を待たせておけ!」

と命令し、自分の都合に合わせて人々を動かしても良かったはずです。

しかも彼らはピラトに対して、官邸から出てきて外で会いたいとまで言ってきています。

「彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった」
(ヨハネ18:28)

属国の民でローマより格下とされていて、総督にお願いを聞いていただかなければならない立場であるはずなのに、随分わがままな要求をするものです。

意外なことに、ピラトはこれら全ての要求を飲むのです。

問題を起こさないことが彼にとっての一番の優先事項だったからと考えられます。

筋を通すことが最優先事項ではなく、妥協に妥協を重ね、波風を立てずに問題を回避することが彼にとっての最優先事項だったからです。

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神の御心を行おうとする時、このような人間側の事情にもみくちゃにされるのが常です。

人の欲望や都合、その時の気分やわがままな思い、損得勘定、人間関係の上下…等々。

それらに合わせれば合わせるほど流され、神の思いを達成する方向からどんどん逸れていくように感じられます。

実際その通りなのです。

初めに描いた美しいイメージは醜悪な形へと崩され、当初のイメージとは似ても似つかぬ妥協の産物が現れます。

「これならやらないほうが良かった…」

という思いが心に湧き、失望感に満たされます。

このような体験を積み重ねて、人は御心を行いたいという意欲を失い、当たり障りのない信仰生活を送るようになります。

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実は意欲など無くなったほうが良いのです。

意欲、つまり、やる気に頼った信仰生活・献身生活は不安定だからです。

やりたい時は大いにやり、やりたくなくなったからやめる、というのはアマチュアに許されていることです。

プロは意志で行います。

やりたい、やりたくない、は関係ありません。

そうすると決めたからやる。

そうすることは自分の使命だから行う。

意欲に依存する生活から、意志や使命感に移行すること。

これが人間の様々な事情でもみくちゃにされている中で、御心を通す串となるのです。

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イエス・キリストの中にこの1本の串を見て行きましょう。

それが揺れ動く世の中で、あなたがブレないで生きる支えとなります。

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