今日のみ言葉【No.1445】(2017年 1月10日) 056 「十字架上のイエスを嘲った人々」(1)
そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
(マタイ27:33-34)
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タモリさんが手術をした時の話です。
麻酔が施され、看護師さんからの
「タモリさん、ここ触っているの分かりますか?」
という問いに対して、
「ええ、わかりますよ。オレ、麻酔が効きにくい体質なのかもしれませんね」
と軽口を叩いた次の瞬間、看護師さんからの
「タモリさん、手術は無事終わりましたよ」
という声が聞こえてきました。
彼はその体験から、
「麻酔っていうのはだんだん眠くなっていくのでなくて、ガクッと意識が落ちるものなんだね」
と語っています。
私たちは麻酔がなければ身体が切られる痛みなど耐えられません。
しかし、イエス様は麻酔をあえて拒否して十字架刑を受けられました。
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ゴルゴダの丘と呼ばれる処刑場に着いた一行は、イエス様と二人の犯罪人を十字架につける準備を始めました。
兵士たちがイエス様に飲ませようとした「にがみをまぜたぶどう酒」とは、少量の没薬をぶどう酒に混ぜ、睡眠薬(麻酔薬)の働きをさせるものだったようです。
これを飲ませるのは、十字架刑の苦痛を和らげるため、つまり、はりつけになる犯罪人への温情からでした。
しかし、
「イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。」
(マタイ27:34)
とあります。
ぶどう酒を飲まないで十字架にかかるということは、苦しみを麻痺させず、そのまま受けるということです。
私たちは歯を1本治療するだけでも麻酔をしなければ耐えられません。
しかし、イエス・キリストは十字架の苦しみから逃げようとせず、自分に与えられた使命を果たそうとなさったのです。
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アフリカのケニアとタンザニアの国境にあるマラ川は観光スポットとして有名です。
約200万頭のヌーやシマウマなどの草食動物が緑の草を求めて川渡りをするからです。
当然そこにはお腹を空かしたワニが待っています。
ドキュメンタリー映画の製作者の記録によると、「その日一日で7頭がワニの餌食になった」と書いてありました。
しかしその後に、「しかし数千頭の群れが対岸に渡った」とあります。
数匹が犠牲になった代わりに、その一千倍の仲間が救われたのです。
食べられてしまったヌーやシマウマたちは、本当は助かりたかったのに、結果的に犠牲となってしまいました。
しかし、イエス・キリストは自らすすんで全人類の罪の身代わりとして御自身を差し出され、罪の刑罰としての十字架刑の苦しみを真っ向から味わわれました。
この方の犠牲によって、罪人の私が川渡りができて、無事向こう岸の神の国に入れるのだ、と信じる時、私たちは救われます。
「にがみをまぜたぶどう酒」などで苦しみをうやむやにせず、私たちが受けるはずだった刑罰の全てを受け切って下さったからです。
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救いを完成して下さったキリストに信頼し、緑の草原が広がる向こう岸に渡った平安の人生を歩ませていただきましょう。
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