今日のみ言葉【No.1403】(2016年11月 4日) 041 「ヤコブとヨハネとその母」(1)

そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
(マタイ20:20)

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「スピード出さないで帰れよ」「カゼひくなよ」

60を前にしたオッサンの私にこう言うのは私の母親です。

80代と50代であっても、母親にとって相変わらず息子は息子なのです。

息子可愛さで、イエス様に図々しくもお願いに出たのがゼベダイの子らの母でした。

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ゼベダイの子たちの母とは、ヤコブ(兄)とヨハネ(弟)の母のことで、名をサロメと言います。

彼女はイエス様の母マリヤと姉妹であったと考えられています(参考→マタイ27:56、マルコ15:40、ヨハネ19:25)。

つまり、彼女にとって子供の頃から知っている甥っ子の「イエスちゃん」は、我が子ヤコブとヨハネとは「いとこ」であり、自分自身はイエス様の「叔母さん」であったわけです。

なるほど、親戚のよしみで、という意識があったのでしょう。

「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」
(マタイ20:21)

といきなり頼んできたのも理解できないことではありません。

イエス様が将来、イスラエルの王様になった時、息子二人を右大臣、左大臣として下さいという願い。

子供の将来が安定し、幸せになって欲しいという母親の素直な願いですが、どうも場違いな感じがします。
 

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しかし、聖書をよく読んでみると、これは息子可愛さのあまりの母親の暴走ではなかったようです。

他の十人の弟子たちは誰も

「お前の母ちゃん、あんなこと言って、大変だったなあ」

などと言って、ヤコブとヨハネに同情しませんでした。

それとは反対に、この後、弟子たちの間で紛争が起きました。

「十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。」
(マタイ20:24)

ヤコブとヨハネは自分たちから直接イエス様に言わずに、母親のサロメを使って自分たちの願いを言わせました。

一方、他の弟子たちは、自分たちも偉くなりたいが、それを言わないで抑えています。

ですから、ヤコブとヨハネの事実上の「抜け駆け」は許せませんでした。

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表面上は弟子面(でしづら)をしながら、内面は欲望がドロドロと渦巻いて、他の仲間を牽制しあっているというのがイエス様の弟子たちの実状でした。

他者に仕え、他者の祝福となるために生きる、というのが建前。

本音は、自分が一番になりたい、誰よりも祝福された生活がしたい。

今イエス様のそばにいて、功績を上げれば将来が保証される。

そのために有効なら母親でも利用する。

またその母親も、息子をたしなめて正しい道に導いてあげるどころか、息子可愛さのあまり目が眩んでその願いを飲んでしまう…。

そのような人間の現実のただ中にイエス様はいて下さり、あきらめもせず逃げもせず、しっかりと向き合って出会って下さるのです。

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私たちがどんな状況にいようと、イエス様を呼び求めれば、必ず出会って下さいます。

そのことを信じ、今日の一日も主を呼び求め、出会いを確かとする一日として参りましょう。

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