今日のみ言葉【No.1541】(2017年 6月12日) 085 「ピラト」(4)
ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますますおそれ、
(ヨハネ19:8)
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吉永小百合さんが若手人気女優から大女優への道を歩み出した分岐点は、「キューポラのある街」という作品での映画監督の言葉でした。
監督は吉永さんに
「貧乏について考えてごらん」
と課題を出しました。
彼女がすぐに
「私の家も貧乏です、貧乏はよく知っています」
と答えると、
「君の所は、山の手の貧乏だろ、下町の貧乏っていうのがあるんだ」
と監督から言われました。
もし吉永さんが人気の上にあぐらをかいて天狗になっていたら、この言葉に反発していたかもしれません。
しかし後の大女優は監督の言葉を心にとめ、ロケに行っても考え続け、実際に鋳物工場で撮影している間にその意味を理解したと述懐しておられます。
(参考:『私の十本 吉永小百合さんが語る』、立花珠樹・共同通信編集委員、山形新聞2017年1月19日付)
どのような言葉を心にとめるか。それが人生を決めます。
聖書に出てくるピラトの場合はどんな言葉が心の中に残ったのでしょうか?
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ピラトはその優れた判断力でイエス・キリストの無罪を認めました。
そしてイエス様をゆるすためユダヤ人に対して妥協案を示しますが、事態は彼の思惑とは別の方向に動きます。
ユダヤ人はピラトの申し出にことごとく反対し、「十字架につけよ」と叫び続けたのです。
「その人ではなく、バラバを」
(ヨハネ18:40)
「十字架につけよ、十字架につけよ」
(ヨハネ19:6)
ピラトは恐れました。暴動が起きそうだったからです。
もしそうなってしまえば、彼の統治能力が不十分であったという評価につながります。
それだけはなんとしても避けたいのが彼の本音でした。
一番力があるはずのピラトが右往左往するとは、真理に基づかないで生きる人間の姿を示します。
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ピラトへの決定打は12節の言葉です。
「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」
(ヨハネ19:12)
ピラトにとって、永遠を決定づける神の子イエスよりも、目の前の皇帝のほうが重要と見えたのでした。
この言葉に動かされて彼は最終的な判決を下すことにしました。
ピラトの場合、重大な決断を下す動機は
「ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますますおそれ、」
(ヨハネ19:8)
とあるように「恐れ」でした。
恐れる者の人生は右に左に揺れ動き、重大な決断をして後戻りをしないはずが、数分後には覆っているのです。
このような騒動の中、イエス・キリストは誰をも責めるのでなく、ただ神の御心に従っておられました。
動揺しない人生の秘訣がここにあります。
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Tさんは深い信仰のおばあちゃんでした。
ただひたすら手を擦り合わせて「イエス様、イエス様…」と熱心に祈る姿が私の目に焼き付いています。
Tさんの人生には何度も「神がいるならどうして…」と思わせられる苦難が押し寄せました。
おばあちゃんはいつも変わらずその手をこすりあわせて祈ります。
その姿に、「理屈に合わない」と反発する人もいれば、引きずられるようにして信仰に入られる人もいました。
周りがどうあろうとも、ただイエス・キリストに望みをかけ続けたTさんのおばあちゃんの人生を思い返す時に、私の記憶の中では
・問題が押し寄せた時に見せる一瞬の陰りの表情
・次に、ただひたすら真剣に祈る表情
・そして、いつもと変わらぬ平穏な表情
この3つがセットとなって現れてきます。
動揺しながら動揺しない人生。
Tさんは神の御心に従う信仰のあり方を残して下さいました。
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恐れを感じても揺らされない今日を生きて参りましょう。
その秘訣は、御心に従う生き方です。
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