今日のみ言葉【No.1361】(2016年 8月30日) 027 「イエスに養われた五千人」(1)

「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」
(マルコ6:31)

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世にブラック企業と呼ばれる会社があります。

その求人情報には特徴があるので、事前にある程度見抜けるそうです。

まず、残業なしを強調していること。ノルマを達成していれば、という条件が隠されています。

次に、社員の写真の茶髪率が異常に高いこと。

最低限のマナーを守れない社員がいるということは、会社も社員にマナーを守らないということです。

そして、意外に思われるかもしれませんが、

「熱意」「夢」「やる気」

というキーワード満載のところです。

つまり精神論をぶち上げて、社員に過酷な労働を強いるということです。

さて、イエス様というリーダーの下で、弟子たちはどういう働きをしたでしょうか。

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イエス様は弟子たちに「けがれた霊を制する権威」を与え、二人一組で遣わされました。

彼らの伝道は大成功で、イエス様のもとに帰って報告をした時、

「出入りする人が多くて、食事をする暇もなかった」
(マルコ6:31)

というほどに人々の求めが多く寄せられてきました。

そこでイエス様は弟子たちにこう言われました。

「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」
(マルコ6:31)

彼らの状態を見て、休め、と命じられたのです。

弟子たちはイエス様の言葉に従いました。

「そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。」
(マルコ6:31)

もし現代に「イエス・キリスト株式会社」があるとするなら、イエス社長は大変有能で、適切な指示をヨハネやペテロ等の社員に与えて仕事の業績を上げさせ、しかも福利厚生完備、メンタルケアも充実している超優良企業と言うことができるでしょう。

このようなリーダーの下で働ける弟子たちは何と幸いだったことでしょう。

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一方、これと対照的なのが群衆です。

彼らに手厚いケアと将来の保証を与えてくれる存在はありません。

自分で自分のことを何とかしなければなりませんでした。

彼らにとって、今、自分たちの助けになれるかすかな光はイエス・キリストのみでした。

ですから、ここでイエス様一行を見失ってはならぬ、と

「多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。」
(マルコ6:33)

とあります。

人々は、陸路、一行より早くそこに着いて、イエス様の到着するのを待ちかまえていたのです。

岸辺でひしめくように待っていた群衆が、イエス様の目には「飼う者のない羊」のように見えました。

「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。」
(マルコ6:34)

自分の問題にどう取り組んだらいいのか分からず、どこへ行ったら解決があるのか探しながらさまよい歩き、不安の中、人生の道に迷っている存在。

それが「飼う者のない羊」である人間の存在です。

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飼う者のない羊は、自分がさまよっていることがわかりません。

また、働き過ぎの弟子たちも、自分たちがオーバーワークでいる状況にいることがわかりません。

ですから、

「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」
(マルコ6:31)

と言われるイエス様の御言葉を聞く必要があるのです。

立ち止まり、神と自分というたった二人の関係にたたずむ時が必要なのです。

そこにおいて、自分の状態を客観的に照らしだしてもらい、本当に必要なものとは何であるかを知るのです。

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神と共に、静まるひとときを持つ一日として参りましょう。

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