今日のみ言葉【No.1311】(2016年 6月23日) 010 「沖へこぎ出したシモン・ペテロ」(1)
話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
(ルカ5:4)
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パソコンで原稿を作成し、最後に「保存しますか?」の表示に、間違って、「いいえ」を選んだことがあります。
数時間の労苦が一瞬にしてゼロになりました。もう一度やり直しです。
そのような時、
「神様は新しいものを作れとおっしゃっているのだな。あれ以上のもっと良い作品が出来上がるのだ。」
と模範解答で心を切り替えられる人になりたいものですが、私はそうではありませんでした。
「神様はいるのか?いるのならなぜ私が間違えないように教えて下さらなかったのか?」
と不平を言い、嘆き、しばらくは何をする気にもなりません。
ルカ5章の冒頭に出てくるシモンはこれと似たような状況にありました。
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ここには対照的な2種類の人々が描かれています。
まずはイエス様に期待を持ってやってきた人々です。
「群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきた」
(ルカ5:1)
もう1種類は、逆にそばにいるイエス様にも群衆にも全く関心を持たない人々です。
「そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。」
(ルカ5:2)
シモンをはじめとする漁師たちです。
群衆がイエス様の教えを聞こうとして集まり、熱気ムンムンの隣りで、彼らは網を洗っていました。
夜通し働いたが、何もとれなかったからです。
そこには努力が報いられなかった失望感が漂っていたことでしょう。
「へっ!今さら神様が何だって言うんだ!」
そんなつぶやきが聞こえてきそうです。
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イエス様はそんなシモンに関わりを持たれます。
彼に頼んで舟を出してもらい、彼の舟から、押し迫るようにしてやって来る群衆に神の教えを語られたのです。
しかし、シモンには話を聞く熱心さなど湧いてこない状況でした。
群衆への話が終わった後、イエス様は個人的に彼にこう語られました。
「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
(ルカ5:4)
イエス様は、やる気も関心もない、そして神に半分背を向けているシモンに声をかけられました。
キリストとの出会いは、私たちが熱心に求めている時だけ起こるのではありません。
失望し、元気もなく、神の言葉をあえて無視している時でも、神はあなたに出会いを気づかせようとして語って下さっているのです。
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A子さんはお姉さんに連れられて初めて教会に行きました。
帰り際、お姉さんがA子さんを牧師に紹介すると
「そうですか、お姉さんも素敵ですが、妹さんも素敵な方ですねえ」
と言われ、びっくりしたのと恥ずかしかったのとで早々にその場を後にしましたが、帰宅してからムラムラと怒りが湧いてきました。
「あの先生、ウソばっかり!もう絶対に教会に行かない!」
素敵ですね、と言われたことは、本当は嬉しかったのです。
しかし、自信がなく、自分を知らず、自分をいつくしむ生き方からは程遠かったA子さんにとって、それは受け取りきれないほどの大きな恵みだったので、あえて否定してしまったのです。
後に彼女は再び教会に行き、イエス様を心に迎え入れる決心をし、クリスチャンとなられますが、かたくなに拒んでいたあの時こそ、キリストとの最初の出会いだったのです。
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神に背を向けている時でも、神は声をかけてくださることを覚え、今日の一日を歩んで参りましょう。
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