今日のみ言葉【No.1278】(2016年 4月27日)
銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。
(ゼカリヤ13:9)
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ピカソの絵がわかるためには、キュビズムという手法を知っておくと良いのだと聞きました。
例えば風景画なら、ある一点から見たたった1つの情景を描きますが、キュビズムではいろいろな角度から見た複数の形が同一画面に盛り込まれます。
一見、鼻も目も口もバラバラの変な顔にしか見えませんが、よーく見ていくと、ピカソの目がモデルとなるその人の周りをグルッと回った時に見える部分の集合体なのだと分かります。
すると、写真が急にビデオに変わる感じで動き出すのです。
平面が立体となり、静止画が動画に変わる。
そのためには、自分が止まって絵を見るのではなく、絵に動かされて自分が回る必要があります。
聖書の預言を理解する時もこれと同様なことが起きます。
順序正しく時系列に事が並んで書かれているのではなく、ピカソの絵のように同じ章の文章に次々と過去・現在・未来・終末の情景が描かれます。
預言を読み解くためには、自分中心でなく、神中心に読み、自分が動かされて読む必要があるのです。
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ゼカリヤ書第13章の冒頭にある
「その日には」
だけを見ると、単純にその一日でこの章に書かれていることが一気に起こるように感じるのが普通の人の読み方です。
しかし実はそうではありません。
この章は何千年に渡る重要な出来事が1日で起こっているかのように書かれているのです。
ですから、ピカソの絵を鑑賞する時の気分でこの個所を読まなければなりません。
具体的な解釈は、聖書の注解書や牧師先生の説明にお任せしますが、これらのことがなぜ起こるのかというと、神の民を
「銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する」
(ゼカリヤ13:9)
という神の目的があるからです。
神はご自身が選んだ人々を訓練なさいます。
ゼカリヤ書第13章で直接的に言っているのはユダヤ人のことです。
「彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」
(ゼカリヤ13:9)
このような関係になるように、世の終わりの大患難時代、神はユダヤ人を導いていかれます。
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私たち自身も、神に選ばれたのなら、当然のごとく神の訓練を受けます。
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」
(ヘブル12:6)
訓練はつらいものです。聖書自身がこう証ししています。
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。」
(ヘブル12:11)
しかし、続いてこうあります。
「後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」
(ヘブル12:11)
自分を中心に据えて見ていくと、疑問と苦しみのパレードのような人生に見えます。
しかしそこに神を中心とした視点を据えていく時、私を金や銀のように価値あるものと見て下さり、それを更に精錬し、純粋なものにしようとされる神の御手が見えてきます。
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あなたの人生という絵は、バラバラの矛盾に満ちた絵ではなく、ピカソが描くような傑作です。
今日も神の訓練を受けながら、その人生を喜び、楽しんで生きて参りましょう。
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