今日のみ言葉【No.1178】(2015年11月19日)
彼らはわたしのものとなって
(エゼキエル23:4)
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マザー・テレサは、「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく、「無関係」だと言いました。
憎しみはむしろ愛の裏返しである場合があります。
なるほど、ラブソングの歌詞の中に、相手を「憎い人」と表現する歌詞は、その点を突いていたわけです。
愛する我が子を叱ったり、その行動にがっかりしたりするのは、親子という関係があるからで、よそのお子さんにはそこまで感情は引き出されません。
深い関係を結んでいるからこそ、神は背信のイスラエルに強く呼びかけられたのです。
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エゼキエル書第23章は、露骨と思えるほどの性関係の寓話をもって、神がイスラエルを裁く理由を記しています。
アホラは北王国の首都サマリヤ、アホリバは南王国の首都エルサレムを表します。
国が北と南に分裂したイスラエルは、主なる神を捨て、大国アッスリヤやエジプトという外国と同盟を結び、そちらの方を信頼しました。
当然そこにはその国の偶像神が入ってきます。
生きている神なら預言者を通して民にどんどん物を言いますが、実体のない偶像神は何も言うはずがありません。
イスラエルはそれを良いことに自分の欲望充足を加速化させ、ますます真の神から離れ、不道徳な偶像崇拝に走りました。
これが霊的姦淫ということです。
それに対する強烈な裁きと滅びのメッセージが第23章に記されているわけですが、それは、
「彼らはわたしのものとなって」
(エゼキエル23:4)
という神がイスラエルとの間に結んだ契約があるからです。
関係があるから愛があり、愛があるから相手に正しい行動を要求する。
神の私たちに対する態度は、時に愛とは全く正反対に見えることがありますが、実は首尾一貫しているのです。
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水野源三さんの詩を紹介します。
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「生きる」
神さまの
大きな御手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
螢草は
螢草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き
神さまの
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる
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『こんな美しい朝に』(いのちのことば社)より
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わたしのものだ、と言って下さる神の愛を信じ、今日も自分らしく歩む一日を送って参りましょう。
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