今日のみ言葉【No.930】(2014年11月 4日)
主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
(詩篇100:3)
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ヨーロッパに観光旅行に行くと、必ずと言っていいほど礼拝堂に行き、壁画や美術作品を鑑賞するコースが組まれます。
皆さんが口々に言われるのは、
「あちらの礼拝堂は暗いですね」
ということですが、これには理由があります。
明るい光を当てると、その紫外線が絵の色をあせさせるという悪影響があるのです。
ところが今年からバチカンのシスティーナ礼拝堂にLEDが導入されました。
LEDには紫外線や赤外線が少ないため、今までの照明より絵を痛めることがありません。
芸術作品鑑賞の場が礼拝堂の主目的ではありませんが、多くの方が教会を訪れることは良いことです。
それがきっかけとなり、主目的の日曜日の礼拝に集う日が来ることを私は期待しています。
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詩篇第100篇は礼拝への招きの詩篇です。
私達はなぜ毎週集い、神を礼拝する時を持つのでしょうか?
それは、
「われらを造られたものは主であって、われらは主のものである」
(詩篇100:3)
からです。
「主のもの」
とは、
「その牧の羊」
ということです。
新共同訳聖書では
「主に養われる羊の群れ」
と訳されてあります。
神のものである私たちが神に養われる場、それが礼拝を持つ一つの大きな意味です。
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この世では
「自分で頑張る他ない」
という生き方しか教わりませんが、礼拝を通して私たちは
「主に養われる羊の群れ」
であることを毎週々々確認するのです。
すなわち、自分で生きているのではなく、
「生かされている」
ということを覚え、その恵みに浸ることが養われるということです。
この世にどっぷり浸かっていると、そのことを忘れ、自分が自分を支えていると錯覚し、それが当然だと思い込んでしまいます。
週に一度、軌道を修正し、再び神の示される正しい方向に向きを変え、命新たにされて進み直すこと。
これが礼拝に招かれて生きる人の生き方です。
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今日、一度立ち止まり、天を見上げて礼拝する時を持ちましょう。
神はあなたを礼拝に招き、全ての点にわたり、養いを与えて下さいます。
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