今日のみ言葉【No.920】(2014年10月22日)
われらの手のわざを栄えさせてください。
(詩篇90:17)
——————
「謝ったらゆるしてあげる」
ゆるさないでいるより、ずっと素晴らしい心です。
しかし裏を返せば、
「謝らなければゆるさない」
ということになりますし、実際、謝るか謝らないかわからない現時点では、相手に怒りの心がチラホラ見えますから、素直に頭を下げることがしにくい状況です。
ここは、
「ゆるしているから謝ってごらん」
がベストの答です。
謝る謝らない、罪を認める認めないに一切関係なく、
「もう既にゆるされている」
という保証の中で、人は初めて安心して自分の罪を認め、素直に謝ることが出来るのです。
キリスト教は常に神の恵み先行です。
-*-*-*-*-*-*-
今日の聖句は、詩篇第90篇の一番最後の言葉です。
自分のやることなすことみな成功するようにお願いします、と最後に締めくくった…、のではありません。
モーセの祈りですから、エジプトの王パロとの戦いや民の反抗に遭いながら、忍耐の生涯を送ったことが記されています。
特に、最初の段階で神に従っていれば1〜2週間でカナンの地に到着できたものを、不信仰に陥ったイスラエルの民は40年間の荒野の生活をしなければなりませんでした。
彼の人生は思うようにいかないことの連続でした。
しかしモーセはそこで神の恵みを体験します。
と同時に、神の沈黙と裁きをも体験します。
うまく行かない現実の中で、
「われらの手のわざを栄えさせてください」
そうなれば神は愛だと信じられます…、という意味で祈ったのではなく、
「われらの手のわざを栄えさせてください」
なぜなら神は愛だから、今うまくいかない現状でも、必ずこの先、神は祈りに答えて恵みを施して下さる、という
「信仰の先取りの祈り」
だったのです。
-*-*-*-*-*-*-
神の恵みの風が再び吹く時に備え、「われらの手のわざ」に磨きをかける一日として参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
●過去記事(バックナンバー)は全て
https://mikotoba.org/
に保管されていますので、いつでもご自由にお読みいただけます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません