今日のみ言葉【No.3819】(2026年 1月15日)「岩からの水(1)」
イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。
(出エジプト記17:1-2)
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人間が問題に直面したとき、どのように反応するかは、大きく二つの方向に分かれます。
それは、脳がその出来事を「脅威」とみなすか、「挑戦」とみなすかによって決まります。
「脅威」とみなせば、「そんなことはあるはずがない」と問題そのものを否定したり、パニックに陥ったりします。
一方、「挑戦」とみなせば、「今の自分に何ができるだろうか」とコントロールを取り戻し、「ここにどんな宝があるだろうか」と価値を見いだすことができます。
荒野で水がないという問題に直面したイスラエルの民は、どうだったでしょうか。
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レピデムに宿営したイスラエルの民は、そこに水がないという問題に直面しました。
しかし、彼らは、
「大丈夫だ。うずらとマナを与えてくださった神が、今も私たちと共におられる。水もきっと備えてくださるはずだ」
と言って、渇きのただ中で喜びにあふれ、神を賛美しました…、とはなりませんでした。
「民はモーセと争って言った、『わたしたちに飲む水をください』」
(出エジプト記17:2)
事実はまったく逆だったのです。
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神に従い、神の命令を守って進んで行くのならば、必要なものはすべて備えられます。
新約聖書でイエス・キリストはこう語っておられるからです。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」
(マタイ6:33)
しかしイスラエルの民の目には、その「備え」である水が見えませんでした。
そのため、彼らの心から神への信頼が失われていったのです。
モーセは彼らの状態を、
「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」
(出エジプト記17:2)
と的確に表現しています。
彼らは「神を試す」状態にいたのです。
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クリスチャンも、神への信頼を失うと不安に支配されます。
しかし、「一応は神を信じている」という意識があるため、信仰を立て直そうとして、
「本当のところはどうなのか。神は信頼できるのか?」
と考え始めます。
これは、古代イスラエルだけでなく、どの時代の人間にも当てはまります。
現代に生きる私たちも同じで、たとえ聖書の知識を十分に持っていたとしても、現実の厳しさの中で、ふと陥りやすい状態なのです。
そして行き着く先は、
「神を試す」
という態度です。
そこから生まれてくるのが、「つぶやき」です。
では、モーセは民に対して、どのように対応したのでしょうか。
以下、次回に続きます。
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神の国と神の義とを、まず求める今日としてまいりましょう。
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