今日のみ言葉【No.865】(2014年 7月11日)
「わたしはおまえの救である」と、わたしに言ってください。
(詩篇35:3)
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詩篇第35篇は恨み・憎しみ・復讐心満載です。
親しい者に裏切られた人が書いた詩篇だからです。
信仰者であっても人間ですから、生の感情があふれ出る時があってもおかしくありません。
ある意味、
「詩篇の記者よ、あなたもそうなのか…」
とホッとするところでもあります。
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しかしその渦中で、相手をやっつけることだけに目を向けていると、憎しみが更に相手の憎しみを生む連鎖となり、泥沼化します。
詩篇の記者は、
「『わたしはおまえの救である』と、わたしに言ってください。」
(詩篇35:3)
と、神に目を向け、神に救いを求めています。
この一点があるかないかで人生の質が変わってくるのです。
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新約聖書の光を当てる時、このようなイエス様の言葉が聞こえてきます。
「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」
(マタイ5:38-39)
無抵抗だけでなく、更にその敵を愛せよとおっしゃっています。
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
(マタイ5:43-44)
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信仰を持ったばかりのクリスチャンは、この御言葉を知った時、心が燃え上がります。
「そうか、憎しみを愛に変えればいいんだ!」
残念なことにそれはやがて失意に終わります。
自分はまだ
「不意に滅びを彼らに臨ませ、みずから隠した網にとらえられ、彼らを滅びに陥らせてください。」
(詩篇35:8)
という詩篇と同じ位置にいることを知らされるからです。
本音は相手の滅びを願い、建前で敵を愛する、という心の二重構造はそう長くはもちません。
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信仰生活を積み、本当の自分を知りだしたクリスチャンは、この御言葉を無視します。
「今の自分には無理」
「天国に行ってからならやります」
と自分を守りだし、神様との間の「もめ事」を避けて平安な信仰生活を維持しようとします。
これが時に何十年も続くことがあります。
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詩篇35篇の位置にいる人は、
「わたしはおまえの救である」
と言って下さる神を仰ぐのみで十分なのです。
その神が私たちの内に聖霊として住まわれ、内側から変えて下さいます。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」
(ガラテヤ5:22-23)
そしてマタイ5章の敵を愛する人へと私たちを新たに造り変えてくださるのです。
これは人間の努力の世界ではありません。霊なる神の働きにおまかせした時に、気づいたらそうなっていた、という世界です。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
(第2コリント5:17)
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今日も目を天に向け、心に聖霊を歓迎する一日として過ごして参りましょう。
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