今日のみ言葉【No.3785】(2025年11月26日)「勝利の讃歌(1)」
主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、
だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、
ほむべくして恐るべきもの、くすしきわざを行うものであろうか。
(出エジプト記15:11)
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サッカーでは、チームが勝利した後に「勝利の讃歌(Victory Song)」を歌う習慣があります。
選手やサポーターが一丸となって勝利の喜びを分かち合うのです。
世界で最も有名なサッカー讃歌の一つは、リヴァプールFCの"You’ll Never Walk Alone"(君は決して一人ではない)です。
勝利後のアンフィールド全体での大合唱は圧巻と言えます。
古代イスラエルの民は、本当に主に守られたことを勝利の歌でもって表現しました。
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出エジプト記第15章は、解放の主への讃美です。
歌は何かを伝えようとします。
奴隷から解放され、エジプトの軍隊が迫る中、イスラエルの民はモーセの言葉を通して神に従いました。
その従順の結果もたらされた偉大な解放を、歌によって表現しているのです。
ここで最も注目すべき点は、ただ「勝った、勝った!」と喜ぶことではなく、神を、
「ほむべくして恐るべきもの」
(出エジプト記15:11)
として讃美している点です。
これが神の御業を味わった人が、神とその御業をほめたたえる時に必要な態度です。
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旧約聖書は、新約聖書の光を当てて読む時に、より正しく解釈できます。
人間は罪ある存在で、どうしたら神の前に立つことができるかという叫びを、詩篇の記者はこう記しています。
「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか」
(詩篇130:3)
ここに新約聖書の光を当てるとは、イエス・キリストの言葉を通して旧約を見るということです。
イエス様はこう言われました。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」
(マルコ2:17)
旧約の詩篇の記者がこの言葉を聞いたなら、自分こそ救い主から招かれている存在であると喜び勇み立つでしょう。
そしてまた、イエス様はこうも言っておられます。
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」
(マルコ10:45)
イエス・キリストの十字架の死は、旧約の過越の小羊と同じ、神の小羊としての犠牲を表します。
従って、その贖いの死を信じた時に、その人の罪が贖われ、赦され、神の子とされるのです。
キリストによって、詩篇の記者も、私たちも、真の意味で神の前に立つことができるようになります。
新約時代に生きる私たちは、このような精密な救いのシステムの上で、主を讃美することができるようになっているのです。
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ほむべくして恐るべき方と共に、讃美の人生を送ってまいりましょう。
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