今日のみ言葉【No.3544】(2025年 1月14日)「父と二人の息子の話(父と兄編)(7)」

兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
(ルカ15:29)

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江戸時代にいた「鼠小僧(ねずみこぞう)」の話をご存知でしょうか。

武家屋敷に忍び入り、盗んだ金を貧乏人に施した義賊扱いで、昔から演劇化されています。

「盗人にも三分の理あり」と言われますが、こじつければ誰にでも理屈はあるものです。

さて、兄息子はどんな言い分を持っていたのでしょう。

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兄息子の言い分は、こうです。

「わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません」
(ルカ15:29)

彼は長年父親に仕えてきたというのです。

それは本当のことでしょう。

忠実に働いたことは、

「言いつけにそむいたことはなかった」

という主張からもうかがえます。

兄息子は冷たい心の持ち主のように思えましたが、至極まじめで勤勉な人として描かれています。

こういう人こそ報われるべきなのではないでしょうか。

ところが、彼が父親に抱いていた印象は、

「友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません」
(ルカ15:29)

というものでした。

これが現代の経営者なら、ブラック経営と評されても文句は言えません。

やさしい愛の父親のはずが、実は家族を無報酬で働かせる欲深な父親に見えてきます。

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しかし、これは兄息子の誤解です。

最も大事なことは、兄息子と父親との関係です。

兄は自分の行為や業(わざ)によって父との関係を結んでいたつもりでした。

「自分の貢献度によって評価され、報われるべきだ」

ここに根本的間違いがあります。

これでは親子の関係ではなく、雇用主と被雇用者の関係です。

たとえて言うなら、

「社長!私は無遅刻無欠勤で勤務し、業務命令にも忠実に従い、成果を出してきました。それなのに、給料はゼロですか!」

と従業員が訴えているようなものです。

つまり、兄息子は、愛ゆえに父に仕えていたのではなかったのです。

ある一定の業績を挙げ、その行為・功績によって父との関係がつながれるとすれば、何もできなくなれば切れてしまい、その関係は終わります。

しかし、親子の間は行為で結ばれるものではなく、存在そのもので結ばれる関係です。

父だから、息子だから、それだけで成り立つつながりなのです。

ここに行為を挟んではいけません。

「言いつけにそむいたことはなかった」のは、父を愛するがゆえにそうすべきであって、報酬を得、自分の身を安泰にするために行うことではないのです。

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私たちの神様との関係はどうでしょうか?

神様が社長で、自分は従業員でしょうか?

キリストを通して「神の子」とされていることを信じ、父なる神との親子関係にいることを思いめぐらしてまいりましょう。

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