今日のみ言葉【No.706】(2013年11月26日)

そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えて主のみ前にきたれ。聖なる装いをして主を拝め。
(歴代志上16:29)

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かつてセレモニーホールが今のように建っていなかった頃、キリスト教式の葬儀を行う場合、必ず問い合わせの電話があったものでした。

その質問は大抵次の2つでした。

(1)「表には何と書いたらいいのですか?」

「ご佛前」はともかく、「御霊前」でも「志」でも形式にはとらわれなくてもようございます、とお答えしました。

そのうえで、

「キリスト教式では『お花料』と書けば一番よろしいかと存じます。」

と付け加えます。

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(2)「葬儀には何を着ていったらいいのでしょうか?」

これに対しては、

「平服で、葬儀にふさわしい服装で構いません。一般に皆様が着られる黒い礼服で結構です。」

とお答えしました。

形や服装で失礼の無いように、そして故人を大切にする心がこのような質問になって現れてくるのだな、と思わされました。

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今日の聖句では、神の前に出る時の条件をはっきりと書いています。

神に栄光を帰し、供え物を携え、聖なる装いをして主を拝め、とあります。

旧約聖書の時代は本当にこのことを神は厳しく守らせました。

毎日、午前9時と午後3時の2回、その年に生まれた1歳の羊を祭壇に捧げます。

同時に添え物として、オリーブ油約1リットル、小麦粉2.3リットル、ぶどう酒約1リットルも捧げます。

祭司はこれを毎日行うのです。

更に大祭司の衣装たるや、それこそ特別なものでした。

さばきの胸当という前掛けのようなものの記述です。

「その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパ一ズ、エメラルド。第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。」
(出エジプト記28:17-29 新改訳)

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このようないでたちをしなくても私たちが教会に行けるのはなぜでしょうか?

全てキリストが払って下さったからです。

毎日捧げものを持って行かなくても、宝石の付いた服を着て行かなくても、神の前に出られるのは、イエス・キリストの十字架のゆえです。

この恵みに感謝し、自分が出来る応答を神に帰していくのがクリスチャンの生き方です。

「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9:7)

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自由な心で神を礼拝する恵みの中に生かされていることを覚えて参りましょう。

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