今日のみ言葉(2011年11月1日)【No.183】
「「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」
(出エジプト記20:2-3)
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モーセの十戒で、神は人間に戒めを守れ、と従うことを求めています。
聖書を読むと、神が人間に服従を求める時にはいつも同じパターンを踏むことが見られます。
1.ご自身がどういう方かを現します。
2.私たちを祝福されます。
3.その後、神は人間に応答を求めます。
つまり、神は最初に祝福してから従うことを求められるのです。
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この手順は、
「○○ちゃん、いい子ねー。お母さんの言うこといつもやってくれるものねー。ハイ、これやって!」
という人間が行う「操作」や「支配」と似ていますが、全く違います。
神は全能であり、人間をもお造りになった創造主ですから、人間に気兼ねすることなく、ただ「従え」と命令する権限を持っているお方です。
しかしそうはなさらないのです。
神は、聖書や自然の素晴らしさ、あるいは救いのみわざを通して、ご自身を現す道を選ばれました。
そして、ご自分がどのような存在であるかを人間が知り、その神に応答するようにと願っておられるのです。
自分の意志を止めて、他者の意志に自分を従わせることは、多くの場合難しさを感じます。
神の御心だと知らされてはいても、「なぜこれに従うのか…」と理解することが難しい場合もあるでしょう。
その時、知っておかねばならないことは、服従を求められる神は人間を罪の奴隷から買い戻すために莫大な代価を払った方であり、神ご自身が約束に忠実な方であることを既に証明していることです。
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<< 祈 り >>
聖なる全能の神様、あなたこそ栄光を受けるにふさわしい方です。
私が聖なる者となり、御言葉に従い、御心を求めるようになりなさいというあなたの要求は、全て私を愛する思いから出ていることを理解しました。
あなたが祝福を分かち合って下さるのですから、喜んで楽しく私の「従順」という捧げものをお献げします。
アーメン。
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愛の神に服従することを思いめぐらし、従う一歩を踏み出す一日として参りましょう。
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