今日のみ言葉【No.1425】(2016年12月 1日) 048 「否認を予告されたペテロ」(3)

そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
(マタイ26:56)

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結果的に、弟子たち全員がイエス様の預言通りに、彼を捨てて逃げ去ってしまいます。

しかし、弟子たちを笑うことはできません。

もし同じ状況に立たされて、「いや、私は逃げない」と言える保証はあるでしょうか?

正直に自分の心の内を探る時、「本当に神様っているのかなあ…」という思いを持つことは度々あるものです。

つまり、イエス様に従って行こう、信じようとしていて、なかなか信じ切れなかったり、神から離れてしまったり、裏切ったり、つまづいたりするのが人間のありのままの姿だ、ということです。

それに対して、「こんなことではいけない」と思う人は、疑いを消そうとします。

しかし、信じようとすればするほど疑いというものは湧いてきます。

ですから、確信を得ようとして教会の集会に参加し、いいメッセージを聞き、パワフルな体験談を聞いて、「大丈夫なんだ、大丈夫なんだ」と自分に言い聞かせます。

しかし、そうすればするほど、片一方からムクムクと湧いてくるのが「疑い」です。

100%神様にゆだねる、信じきる、などというのは夢のまた夢という状態が続きます。

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しかし、イエス様は、私たちの弱さを十分に知った上で、道を備えて下さっているのです。

私たちが一生懸命信じたから救われるのではありません。

自分の内に確かなものを見出そうとすればするほど、確かでない、グラグラした自分を見出します。

ペテロを始めとする弟子たちのように、都合が悪くなれば教会からも聖書からも信仰からも逃げ去ってしまう可能性を毎日抱えながら生きているのが私たちなのです。

しかし、イエス・キリストは、 信じ切れないあなたを十分承知の上で、あなたを導いて下さっています。

逃げ出す弟子たちだと知っての上で、彼らのために道備えをして下さったように、私たちの人生でも、神を見捨てて逃げ出した後の道備えをしていて下さるのです。

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不十分なままで神の懐に飛び込む決断をする今日となりますように…。

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