今日のみ言葉【No.971】(2015年 2月 3日)
わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、わたしのあげる手を、夕べの供え物のようにみなしてください。
(詩篇141:2)
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私は日本人ですから小さい頃からお線香の匂いの中で育ちました。
子供心に「煙いなあ」「暗いなあ」というイメージを持っていましたが、最近はアロマセラピーという観点から香を焚くということが別の意味を持ってきています。
試しに外国製品も含めていろいろなものを試して見ましたが、私にはやはり日本製の「白檀(びゃくだん)」の香りが一番合うようです。
スッと心が落ち着いて、祈ることができます。
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香を焚くことは、古代イスラエルの礼拝では必要不可欠でした。
香の祭壇で焚かれた煙は天に昇り、その良い香りが神を喜ばせると考えられたのです。
その意味するところは祈りです。
神は私たちの祈りを、香の良き香りと同じものとして喜んで受け入れて下さいます。
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しかし、詩篇第141篇の記者のように、悪人に囲まれている状況の中では、つい愚痴や不満や相手への呪いの言葉が出てきそうです。
ですから、
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」
(詩篇141:3)
と彼は祈っているのです。
否定的・破壊的・復讐の言葉を口から出すことは、相手と同じ低いレベルに自分を貶(おとし)めることになります。
ですから、普段から良きものを貯え、前向き・肯定的・祝福の言葉を出す訓練を施すのです。
「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」
(ピリピ4:8)
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キリスト教と似て非なる新興宗教を「異端(いたん)」と呼びます。
代表的なものに、「統一協会」「エホバの証人」「モルモン教」が挙げられます。
二人組になって一軒々々、しらみつぶしに伝道して回るのですが、あろうことか私たちの教会にもやって来られました。
「キリスト教会だと知っていて伝道をしに来るとは凄い。スタッフをみんな集めてこい。その伝道スピリットを学ぼうではないか。」
という牧師の鶴の一声のもと、玄関に集められた教会スタッフは「異端」の方々のお話を聞かせていただきました。
しばらく説明を聞いた後、牧師が、
「今日はありがとうございました。あなたにも確信があり、私にも確信がありますから、そちら側へのご協力はできませんが、もし、何か行き詰まりや壁にぶつかることがあったり、確信が揺らぐことがあったら、いつでもご相談に乗りますから。」
と言い、その日はお開きとなりました。
私は、「やれやれ、今の30分は何のためにあったのかな?」などと思いながら、その日の出来事などついぞ忘れるともなく忘れてしまいました。
しかし、半年後、その内の一人が秘かに電話をかけてこられたのです。
やはり、恵みでなく、義務やノルマで行うことには限界があり、どこかで壁にぶつかるのです。
もちろん教会ではご相談に乗り、心の癒しのために働きをさせていただきました。
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今日も口から上る祈りの言葉を、香の良き香りとして受け入れて下さる神に向かって語る一日として参りましょう。
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