今日のみ言葉【No.903】(2014年10月 1日)
わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
(詩篇73:26)
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ドライブレコーダーなるものを車に取り付けました。
運転時の様子を全て録画・録音する機械で、万が一、交通事故に遭った時、強力な客観的証拠となります。
いつ車がぶつけられたとしても、自分の身の潔白が証明できますので、かなり安心です。
ところで、全てが記録されているということは、私の運転の不都合な部分も分け隔てなく記録されているということになります。
ですから、私の運転の仕方が変わりました。
今まで黄信号でも「行ける」と思った時はアクセルを踏んでいましたが、今は確実にブレーキの方を踏むようになりました!
全てが見られていると意識することは、こんなにも行動に影響を与えるのかと自分でも驚いています。
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詩篇第73篇は、人生の不条理に悩む詩篇です。
世に悪が栄えることがあっても一時的であると信じていたのに、いつまでたっても彼らに滅びが来ず、ますます栄えていくのを目にしたからです。
「彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。」
(詩篇73:4-5)
一方、神に従って正しく生きているはずの自分の人生はうまく行きません。
「しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。」
(詩篇73:2)
すると、神に対する批判の思いが湧いて出るものです。
「わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。」
(詩篇73:22)
一体どうしたらいいのでしょう?
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この詩篇の記者は、神に近づき、神に祈ることによって悟りを得ました。
「わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。」
(詩篇73:22)
わからなくなったら、わからないままでいいので、そのことをありのまま神様に申し上げるとよいのです。
「ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」
(ピリピ4:6)
すると、私たちのわかる範囲内で、私たちの今いるレベルに合わせて、神は答を与えて下さいます。
彼にとっては、
「まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。」
(詩篇73:18)
でした。
不正を行いながら栄え続けている人々の人生がスムーズに進むのは、神があえてそこに置かれているからだ、と見えてきたのです。
なめらかな所に置かれたら、自分を止めようにも止めることができません。
スリップし始めたら、止まることはおろか、方向を変えることもできません。
ただ、なすがまま。
行き先が滅びだとわかっても、そのままそこに陥るしかない人生。
それが
「なめらかな所」
に置かれた人の人生なのだ、と詩篇の記者の霊の目が開かれたのです。
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神が最終的審判者である。
これが解決の鍵になります。
「また見ていると、大きな白い御座があり、…、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。…、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。」
(黙示録20:11-12)
「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、」
(ヘブル9:27)
人生の不条理に出会うと、心がしおれてしまいます。
しかしどこかで必ず神様が見ておられ、最終的には正しい裁きを下される。
このことが私たちの心に浮上のきっかけを与え、力を生み出す源泉となるのです。
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」
(詩篇73:26)
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「私の人生はつまづきながら歩く不器用な人生だなあ」と思っていらっしゃいませんか?
実はその都度ストップさせられ、神様から
「その方向でよいか?」
と悔い改めのチャンスを与えられ、軌道修正のチェックポイントにさしかかっていたのです。
スムーズに進むばかりが良いのではありません。
神と共に歩む人生こそが最大のプレゼントなのです。
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今日も神様と共なる歩みを、一歩々々踏み締めて歩んで参りましょう。
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