今日のみ言葉【No.3309】(2024年 3月13日)「ヨセフ、捕らえられる(2)」
ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。
(創世記37:21)
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親の介護をする息子さん娘さんが一番腹を立てるのは、用意していた
「転ばぬ先の杖」
が台無しにされた時です。
ところが、認知症の親は自分が生きやすいように行動しているだけで、子の配慮を踏みにじってやろうなどという悪意は微塵もありません。
案の定、親は転びます。
子は、
「だから言ったのに!」
と、親への怒りが湧いてきます。
神様は、人間が自力で立って歩くのをお待ちになり、安易に「転ばぬ先の杖」は出されません。
神の介入が無いように見えるのはそのためです。
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神はヨセフの兄弟たちの悪意をお止めになることはありませんでした。
「さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう」
(創世記37:20)
これは殺人と偽証ですから重大な罪です。
しかし、この時、天から
「やめなさい!」
と止める声があったとは聖書に記されていません。
創世記37章には「神」という語はなく、神は姿をひそめておられます。
神が何も言わずとも、人間の方から神の御心を行うように、神はそのチャンスを与え続け、人間の誤った行動を見ても、忍耐し続けて待っておられるのです。
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さて、兄弟の中で一番先に生まれ、長子として最もヨセフに怒りを覚えても良いはずのルベンがこう言いました。
「われわれは彼の命を取ってはならない」
(創世記37:21)
ルベンは
「ヨセフを彼らの手から救い出そうとして」
(創世記37:21)
言ったのです。
ここでエデンの園のアダムとエバを思い出してみましょう。
彼らは自分の意志で神の言いつけを守るのを期待されていました。
しかし、神がエデンの園で彼らが善悪を知る木の実を食べるかどうか、ずっと番人をして監視していたわけではありません。
そこに神の姿はなく、また、見えないところから「転ばぬ先の杖」を出して、アダムとエバがヘビの誘惑に打ち勝てるようにしていたわけでもありません。
神は全く力を働かせず、ただ、人間の自由意志で彼らが行動することを100%保証しておられたのです。
そこで人間が成す決断、選択こそが純粋に「本物」と認定されるからです。
ルベンは神に心が操られたからではなく、選択の自由が与えられた自立した人間として、悪を選ばず、今の立場で考えられる限りの「善」を選びました。
そのように神の御心の方向を勇気を持って選んでいくと、神の摂理のわざが見えてきます。
以下、次回に続きます。
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人間製のものではなく、神様製の大いなる「転ばぬ先の杖」があります。
それを見出す選択をする今日として参りましょう。
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