今日のみ言葉【No.627】(2013年 8月 6日)

彼は拝して言った、「あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」。
(サムエル記下9:8)

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聖書の中に「猫」は出てきません。

「犬」は出てきますが、忠犬ハチ公のような良い意味ではなく、蔑むべき存在としての意味があります。

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今日の聖書個所はサムエル記の中でも最も美しい記事の一つです。

ダビデは戦死した親友ヨナタンの子メピボセテが存命であるのを知ります。

メピボセテは子供の頃の事故で両足がきかない障害者となっていました。

ダビデは彼を引き取り、その一生の間、王の食卓で王の子たちと同様に扱われ、食事をすることが出来るようにしました。

その際に、

「あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」

とメピボセテは恐れかしこみつつ語りました。

なぜなら、その当時、このような待遇を受けることは考えられなかったからです。

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メピボセテはヨナタンの子ではありましたが、ダビデの敵サウルの孫です。

当時、戦に負けた方は、その王もろとも親族は皆殺しにされるのが通例でした。特に後継者となるはずだった息子はなおさらです。

しかし、メピボセテは生かされたのです。

生かされたどころか、落ちぶれて生活していたのを探してもらい、一気に王の宮殿で何の心配をすることなく生活できるようになったのです。

その理由は、ダビデがヨナタンと親友であり、二人は契約を結んでいたからです。

「ヨナタンとダビデとは契約を結んだ。ヨナタンが自分の命のようにダビデを愛したからである。」
(サムエル記上18:3)

メピボセテが王の家族の一員として王の食卓に加われたのは、彼の父ヨナタンとダビデとの間で結ばれた約束のゆえです。

彼には何の功績もありません。血族関係もありません。財産も能力もありません。

忠実に契約を果たすダビデのゆえに、彼は生涯を王族と共に王宮で暮らしたのです。

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メピボセテに起きた出来事は私たちへの予表です。

クリスチャンが神の家族としていられるのは、イエス・キリストの十字架による新しい契約のゆえです。

神はそのお約束を必ず果たされるので、私たちは堂々と神の王宮の中に迎え入れられ、神と共に食事をし、神の家族として生活できるのです。

ただし、私たちには何の力もありません。手柄を立てたとか、何か功なり名なりを遂げたとか、莫大な財を築いたとか、そのようなことは一切ありません。

むしろメピボセテが、

「彼は両足ともに、なえていた」

とあるように、自分で動くことすら出来ない状態の人間です。

しかし、神は憐れみ深いお方であり、かつ、必ず約束を果たされるお方です。

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」
(ヨハネ1:12)

この約束によって、私たちは当たり前のように今日も神と食を共にし、全てを最善となしてくださる方と共に歩くことが出来るのです。

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神様から愛されていることを信じ、神が愛される自分を無視せず、大切な存在として自分を扱う一日として参りましょう。