今日のみ言葉【No.429】(2012年10月20日)
わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。
(ヤコブ3:2)
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ヤコブの手紙第3章では「舌」ということを取り上げています。
つまり、言葉を使う上での注意点です。
誰でも、あれは言い過ぎた、とか、言葉が足らなくて後で大変な思いをした、という経験をお持ちでしょう。
舌、つまり、言葉を使う上で、
「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。」
という今日の聖句は本当だと実感します。
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しかし、言葉のあやまちということ以上に問題なのが、
「同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。」
(ヤコブ3:10)
ということです。
心にあることが舌を通して言葉になって現れるとすれば、私たちの心の中は、讃美とのろいが同居する、それこそ
「二枚舌」
の生活をしているということです。
この場合、愚痴やのろい等の否定的な言葉を出さないようにしようと決心すると、なおそのことにこだわりができて、不自然になってしまいます。
効果があるのは、愚痴が出てくる余地のないまでに讃美で心を満たし、舌を満たすことです。
何があっても感謝、何が起きても讃美することを習慣化していくと、言葉の過ちは激減し、心が強められていきます。
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マーリン・キャロザース師の書いた『讃美の力』は、アメリカのみならず、全世界で大反響を呼びました。
そこには、感謝できないことにも感謝し、苦しい時に讃美せよ、と書かれてあります。
なぜ試練を感謝しなければならないのか、その理由は全く分からない時の方が多いものです。
しかし、神が許さなければこの試練は起きなかった、ということは、旧約聖書のヨブ記に記されているように、確かなことです。
なぜだか分からないが私を祝福して下さるために、神様はあえてこの試練を与えて下さった、と信じて感謝し、讃美するのです。
実際に試練の最中、口で、舌を使って、言葉に発して讃美し感謝することは苦しいこと以外の何ものでもありません。
讃美のし始めは、そのような苦しみを味わうと共に、
「こんなのウソだ!」
「自分を欺いているだけだ!」
という思いが心の中に湧いてきます。
しかし、ここが勝負所。舌を制するための正念場です。
それでもあえて讃美を続けていくと、やがて現実が変わり、私たちの心も変わっているのを体験します。
神様が、
「私が与えたもの(人間にとっては試練)を感謝し、讃美してくれるのか。それは嬉しい。」
と思って下さるのでしょう。
ですから更に、神様の実際の働きというものを私たちは体験していけるのです。
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感謝と讃美という信仰の精進を続けて参りましょう。
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