今日のみ言葉(2011年10月17日)【No.170】
「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。
あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。」
(詩篇25:4-5)
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詩篇第25篇はダビデの歌とされています。
彼はここで神の導きをひたすら求めています。なぜなら、神は導きを与えて下さる方だからです。
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「神は本当に導いて下さるのだろうか…?」と半信半疑でいる人と、「神は必ず私を導いて下さる」と信じ、今か今かと待っている人とでは、その差は歴然としています。
ちょうど木の枝の先の葉が絶えず風の動きをとらえているように、私たちの心も神の導きに敏感で居続けなければなりません。
「ひねもす」とは、「一日中」、「絶えることなく」という意味だからです。
すなわち、神は確かに導いて下さる方だから、真剣に導きを祈り求めます。導きは必ず来るのだから、それをキャッチするために心を絶え間なく神の方に向け、待ち続けるのです。
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ある時私は、発達障害の一つであるADHD(注意欠陥・多動性障害)の本を購入しました。その分野について知っておく必要が生じたからです。
翌日、なぜかその本をカウンセリングスクールの時に持って行くべきだ、という思いが与えられました。しかしその本は大きくて結構重いのです。
無理、と思ってその考えは却下しようと思いましたが、もしかして神様の導きかと思い直し、持って行きました。
すると、「ある人と関わっているのですが、どうしたらいいのかわからないのです…」と話してくる人と出会いました。その方は神様にどうしたらいいのかと導きを祈っていたのです。
話をお聞きすると、ADHDらしく感じられたので、「実はそのような本がここにあるのですが…」とお見せして読んでもらったところ、まさしくここに書かれてあることとそっくりだ、ということがわかり、すぐに本をお貸ししました。
祈りを聞かれる神は、私という全くその事情を知らない人間を用いて、その方の祈りに答え、導きを示したのです。
神様はこのように人を用いて導きを与えて下さいます。人との出会いに心を配る必要があるのはこういう理由です。
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祈りに答え、導きを与えて下さる神のサインに気づく一日でありますように…。
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