今日のみ言葉【No.1663】(2017年12月11日)「 スピリチュアルケアとなる人生」
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう
(ヨハネ4:14)
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「人は若くして死に、老いて葬られる」
人生に意味も目的も感じられず、ただ肉体が朽ちるまで存在している状態を表現しています。
聖書の「死」とは「分離」です。人は神から切り離された霊的な死の状態に置かれています。
イエス・キリストはこの霊的死から人間を救われる御方です。
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聖なる神は罪ある人間と交わることができません。
全く接点がないので、人は神の正しい姿を知ることができません。
この罪によって分離された神と人間との間に橋渡しとなって下さったのがイエス・キリストです。
全く罪のない神の御子キリストが私たち人間の罪を十字架で代わりに負って下さったので、そのことを信じる者の罪は無いとみなされます。
人間はイエス・キリストを仲介役として神との交流を再びできるようになったのです。
今まで関係を妨げていた「罪」が取り除かれたので、神と人間との間につながりが出来ました。
命の源である神とつながっているので、神から命が人間に流れてきます。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
(ヨハネ4:14)
霊的な死から救われるとはこのようなことなのです。
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すでに終末医療の現場では「霊的ケア」や「スピリチュアルケア」という概念が取り入れられています。
世界保健機関(WHO)では21世紀に入るにあたり、
「従来の『健康』の定義である肉体的、精神的、社会的に幸福な状態に、人間の尊厳に必要な「スピリチュアル」の要素を盛り込むべきという議論が行われたことがある」
(読売新聞2007年8月13日付)
そうです。
身体的痛みではなく、「生きる意味があるのか」等の科学では対処できない「心の痛み」を癒そうという取り組みです。
様々な宗教の方面からこの課題への取り組みがあることでしょう。
しかし、クリスチャンこそスピリチュアルケアに最も近い場所におり、最もシンプルに答を提供できる存在なのではないでしょうか。
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あなたがイエス・キリストを救い主として信じ生きているその姿こそ、他者へのスピリチュアルケアとなります。
霊的命のおすそ分けをする者として今日も歩ませていただきましょう。
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